昭和の時代、戦後の復興から高度経済成長の頃は、蒲田駅周辺はいつも喧騒といってもいいほどの活気に溢れていた。若い頃、自分にとって蒲田は、何故か怖い町という印象だった。また同時に、映画「蒲田行進曲」の影響もあってか、映画撮影の街・人情の街と勝手に想像していた。 それが餃子の街として人気になったバブル景気後半の頃から様子が変わったように思う。若者が大挙して「你好(ニーハオ)」や「金春」の餃子を食べに蒲田にやってきた。自分も餃子をずいぶん食べに行った。そして、蒲田周辺はマンション開発などが一気に進み、明るい空が戻ってきた。景気は長い下降局面に入り、街は落ち着いていった。 平成時代に入っても蒲田の餃子の人気は続き、さらに立ち飲みのブームも重なって、呑み助の街という印象が強くなった。西口サンロードや京急蒲田商店街あすと辺りの立ち飲み屋を、居酒屋の達人と、何度かはしごした記憶が残っている。 JR蒲田駅前