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2023年7月31日のブックマーク (5件)

  • 「自分にとっての幸せと心地よさ」を教えてくれた街「成城学園前」|文・今井真実 - SUUMOタウン

    著: 今井真実 結婚と同時に成城に住み始め、早いものでもう16年経つ。 ここの街に決めた理由はなんてことない。独身の頃から、夫も私も小田急線沿線で暮らし、世田谷区の住人だったため、土地勘があるところを次の住まいにと希望していた。「世田谷区 小田急線 ◯平米以上 ◯円以下 駐車場付き 1階」と不動産情報サイトで検索し、見つかったのが成城の物件だったのだ。 ただし、引っ越してくる前には一抹の不安があった。成城といえば、高級住宅地だと知られている。私たちが馴染むことはできるのだろうか。思わずドラマの世界に登場する怖い住人を想像してしまう。 ……まあ、賃貸なんだし、水が合わなければ引っ越せばいい。それに内見の日に初めて成城という街を歩いたときに感じた空気は、のんびりとしてとっても気持ちが良かった。高い建物が景色を遮ることもなく、見上げると一面に晴れた青空。鳥のさえずりが空気を彩り、これからの新しい

    「自分にとっての幸せと心地よさ」を教えてくれた街「成城学園前」|文・今井真実 - SUUMOタウン
  • 東京だけど「東京」っぽくない。自然と食が豊かなアナザー東京、地元・西多摩のこと|文・長塚健斗(WONK) - SUUMOタウン

    著: 長塚健斗 西多摩が、僕のホーム 僕は東京23区外である、あきる野生まれ、あきる野育ちのミュージシャン/料理人だ。隣接する福生や青梅、奥多摩などを含めた「西多摩」が僕の地元だと思っている。 都心の駅からJR中央線、青梅線、武蔵五日市線へと乗り継いで1時間ほど。都心に住む方でも、キャンプやバーベキューなどで訪れたことがある方は多いかもしれない。 小学生の頃から、とにかく地元でよく遊んだ。小学生といえば、公園や市民プ―ルなどで遊ぶイメージが一般的にあるけれど(もちろん僕らもよく行った)、僕らは、専らキャンプとかバーベキュー三昧。 東京といえど、西多摩あたりは一軒一軒の敷地が広く、畑や庭をやっている人も多い。家によっては囲炉裏があるぐらいだ。自宅の庭に、親戚が集まってパーティーをすることもあった。順番に、友達のお庭でバーベキューみたいな、そんな幼少期。 中学からは中高一貫の私立に行っていたの

    東京だけど「東京」っぽくない。自然と食が豊かなアナザー東京、地元・西多摩のこと|文・長塚健斗(WONK) - SUUMOタウン
  • 悩めるアラサーだった私の揺らぎを受け止めてくれた街「幡ヶ谷」|文・山﨑ケイ(相席スタート) - SUUMOタウン

    著: 山﨑ケイ(相席スタート) 幡ヶ谷って、どこ? 幡ヶ谷に引越したのは30歳の頃。38歳で結婚するまで、30代の多くを幡ヶ谷で過ごしました。 幡ヶ谷はおそらくほとんどの人にとって、また私にとっても、元々あまりなじみのない地名でした。幡ヶ谷駅は新宿駅から電車で2駅。一つ手前の初台は新国立劇場にお芝居を観に行ったことがあるし、一つ先の笹塚には「笹塚ファクトリー」という劇場があったので、そこでネタをしたこともあります。笹塚ファクトリーでネタをする私の姿を見て、元々吉の後輩だった夫が私を好きになった話は、また別の機会に。それにしても、幡ヶ谷は用事がなければ行くことのない場所です。 私は、千葉県柏市で生まれ育ちました。いわゆるベッドタウン。父は柏から都内まで毎日通勤していましたし、私も大学から都内だったので、途中までは柏から通っていました。 大学2年生の頃に彼氏ができて、彼の家に入りびたるように

    悩めるアラサーだった私の揺らぎを受け止めてくれた街「幡ヶ谷」|文・山﨑ケイ(相席スタート) - SUUMOタウン
  • どこにでもあるようで、私だけの青春をくれた愛しい地元・三重|文・でか美ちゃん - SUUMOタウン

    著: でか美ちゃん でか美ちゃんの43.75%は東京で出来ているけれど上京して早14年、現在32歳。つまり19歳になる年、高校を卒業してすぐに東京にやってきた。数値化すると人生の43.75%東京で暮らしていることになる。きっとこのまま住み続けたら自分の人生のほとんどは東京で暮らしたということになるだろう。 そんなことにふと気付いた時、もっと自分の出自を伝えなくては、と思った。最近では隙あらば自分がどこから来た人間なのか、わかりやすく伝えるようにしている。 例えば田舎あるあるのとき。「私も三重県出身なんでイオンばっか行ってました!nobodyknows+が来た時はお祭りでした」「地元が三重県なんですけど、コンビニ行く時は家族全員に相談して行きたい人を募ってから車で行かないと怒られるんですよ」といった風に。自虐が混じってでも、とにかく三重県が故郷なんだと伝えたくなった。 あんなに憧れてた東京に

    どこにでもあるようで、私だけの青春をくれた愛しい地元・三重|文・でか美ちゃん - SUUMOタウン
  • 相方と出会い、夢をかなえてくれた茨城県鉾田市│文・竹内まなぶ(カミナリ) - SUUMOタウン

    著: 竹内まなぶ(カミナリ) 相方・たくみと過ごした幼少期 茨城県鉾田市(ほこたし)。南東部の海沿いにあるこの街で僕は生まれ育った。 カミナリは茨城弁の掛け合いをする漫才を芸風としているので、もちろん相方のたくみも同郷だ。 たくみと出会ったのは保育園の頃だが、会話をした覚えはほとんどない。その代わりに、僕が砂場で遊んでいるとたくみが砂をかけてくるのだ。最初はすごく嫌だったが、どうやらその様子を見た周りの友達が笑うから俺に砂を投げていたらしい。それに気づいてからは、僕も抵抗するのをやめた。 保育園ではそれだけの関係だったが、たくみは僕の実家で営んでいた「スーパータケウチ」にお母さんとよく買い物に来てくれていた。たくみはお母さんが買い物している間に僕の部屋で遊んでいたのだが、そのときはいじめられることもなく、僕のことを好いてくれているんだなという気持ちが伝わってきた。 当時は僕がたくみにおもち

    相方と出会い、夢をかなえてくれた茨城県鉾田市│文・竹内まなぶ(カミナリ) - SUUMOタウン