引越し遍歴パートⅡ 2018年に「上京して10年で引越しを6回した」というブログを書いた。 月日は流れ、あれから6年…さらに2回の引越しをした。ホテル暮らしも含めると3回かもしれない。 前回の記事では主に神奈川〜千葉〜東京の引越し事情を書いた。関東の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたに過…
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「君が代が嫌いであることは自由。ただそれを実際に行動に移さないで欲しい。何故ならそれによって子どもたちに迷惑が掛かるから」 というのと 「反日上等であることは自由。ただそれを実際に行動に移さないで欲しい。何故ならそれによって外国人たちに迷惑が掛かるから」 というのはよく似てるなぁと。 教師が卒業式の式典とかで君が代歌う・歌わないで揉めるとき、一番被害を受けるのはそういう揉め事で、「感動的な卒業式」とかをが行えなくなる生徒なわけじゃん。だったら、真に子供のことを思うんだったら、自分が胸の内でそういうことを思っていても、それを外に出しちゃいけないよね―。 イロニー 大体「外国人のことだけを考えろ」というのなら、それこそデモの前にデモに参加する全員で日の丸掲揚・君が代斉唱でも行えば、入管とか法務省・自民党は大喜びなんじゃないでしょーか? 「ああ、こんな愛国的な外国人が日本に助けを求めているのを、
世の中の人になかなか伝わらなくて時々ジレンマを覚えるのが「石橋貴明はいかにすごいか」ということだ。石橋貴明は本当にすごい。それは近くにいればいるほどすごいと感じるようなところがあって、石橋貴明の周りには本当に瞬く間にシンパができる。石橋貴明は昔、自らをカリスマと称していたけれど、その尊称に全く遜色ないのがぼくにとっての石橋貴明その人である。 石橋貴明のすごさを物語る一つの例として次の動画がある。 これは2004年にフジテレビで放送した27時間テレビ(片岡飛鳥が監督した)の中の一コマなのだけれど、とんねるずの二人が往年の漫才を彼らより若い芸人たちの前でやるという企画があった。その企画の中にすごいシーンがあった。それは、石橋貴明が本当にすごくて、そしておそらく誰にも真似できない芸当を見せつけた瞬間だった。それは、この動画の1分14秒辺りで起こる。 「時代を……」 これは、とんねるずの二人が彼ら
障害者だってキスさせて 2ちゃんねるからリンク貼られていたので拝見した処、これは強烈に重い。 【社会】 「うれしいです」 セーラー服でにっこり、車いす少女が初登校…奈良・入学拒否問題★4 1 名前:☆ばぐ太☆φ ★[] 投稿日:2009/07/03(金) 23:16:44 ID:???0 ★セーラー服でにっこり 車いす少女が初登校 ・身体障害で車いす生活を送り、町立中学への入学を拒否されていた奈良県下市町の谷口明花たにぐち・めいかさん(12)が3日朝、仮就学を認めた同町の決定を受けて初登校し、小学校時代の同級生らと再会を果たした。 真新しいセーラー服を着た明花さんは自宅前で「うれしいです。英語を勉強したい」とにっこり。 昨夜は気持ちが高ぶってなかなか寝付けなかったという。 午前8時すぎ、母親美保みほさん(45)の車で中学へ。出迎えた教諭らに車いすを押され校舎に入った。体育館での全校集会で紹
『MW-ムウ-』20点(100点満点中) M.W. 2009年7月4日(土)丸の内ルーブル他にて全国ロードショー 2009年/日本/カラー/129分/配給:ギャガ・コミュニケーションズpowered by ヒューマックスシネマ 原作:手塚治虫 監督:岩本仁志 脚本:大石哲也、木村春夫 出演:玉木宏 山田孝之 山本裕典 山下リオ 天国で原作者が泣いている 今年の夏は、邦画の話題作がたくさん登場する。『アマルフィ』や『ごくせん THE MOVIE』『蟹工船』等々、とても華やかだ。 だが、深い失望を味わうことで人間的な成長を遂げたい人にとっては『MW-ムウ-』が一番だ。たったの1800円で、これほどの後悔と、本作を選んでしまった自分への嘲笑気分を味わえる逸品はめったにない。 16年前の虐殺事件の生存者・結城美智雄(玉木宏)は、ある目的の元に凶悪犯罪を重ねていた。その友人、賀来裕太郎(山田孝之)は
先日、市が開催する赤ちゃん相談会に行ってきました。 そこで母親を別室に集めて話を聞くので、その間は子供は保育士さん?のような方が見て下さいます。 その間、子供がわからなくなるといけないのでシール状の名札に子供の名前を書いて 母親と子供の胸に貼りつける事になっていました。 「これでお子さんの名前を書いて下さいね」と係の方に渡されたペンを見てびっくり。 赤色のペンなんです・・・ でも隣の男の子の赤ちゃんを見たら黒色のペンを渡されていました。 実は私は小さい頃に祖母から「人の名前は絶っ対に赤色で書いたらあかんっ!」と言われていて その刷り込み?のせいか、どうしても赤色で名前を書く事にすごい抵抗があるのです。 「あの・・・名前書くんですよね。もう黒色のペンはないんですか?それか他の色は・・・」と聞くと 「その子、女の子でしょ?男の子は黒で書いてもらっています。だから赤色で書いてくださいね~(ニコ)
おもいきって告白するが、まだ叙々苑にいったことがない。どういうタイミングでいけばいいのかよくわからないのである。あの場所に、どうやってデビューすればいいのだろう。誕生日か。もしくは、記念日的ななにかか。あの店で、腹がふくれるていど食べたとして、いったいいくらかかるのか。そもそも世間の人びとは、あれほどに敷居の高い店へ、ほんとうに足を踏みいれているものなのだろうか。 叙々苑はまちがいなく大人がいく店だ。考えてもみてほしい。あの店で高級焼肉を豪勢にたいらげている男性は、会社では数十人の部下に檄をとばしながら、株や先物取引などで莫大な利益をあげるやり手であるに決まっているし、その男性に連れられて店にきている女性にしたって、たくさんの男を狂わせる美貌と魔性の魅力で、さまざまな恋愛遍歴を奔放にかさねてきた愛のディーヴァだとしかおもえない。そんな男女のみがひしめく店に、どうやって入ればいいのか。 わた
夫が亡くなったときの対応について わがままを聞いてはいけなかったろうか? 1年前、夫は肺ガンで亡くなった。健康診断を受診したときは、もう手遅れで「あと半年の命」と宣言された。夫自身には期限は知らせず、末期ガンなので苦しい治療になるとだけ伝えた。 個室に入れてもらったこともあって、家族の面会は自由に近かった。私は昼前に病院に行き、食事を共にし体を拭き洗濯ものを回収し、日常の買い物などをした。 抗ガン剤の投与で病状が回復すれば、1週間くらい帰宅し、また具合が悪くなって再入院。それを4回繰り返したころ、とうとう抗ガン剤投与で体調が悪化した。もう抗ガン剤は使えない。死を待つばかりの状態になった。主治医の先生が「残念ですが、もう手がありません」と夫に告げた。 そのときから、夫のわがままがひどくなった。 まず、私に帰るなと言い出した。一人で夜を過ごすのが寂しいのだと言う。家には高1と高3の子供がいる。
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