ブックマーク / somethingorange.net (10)

  • とにかくまずこれくらいは押さえておくべき少女漫画二〇作。 - Something Orange

    出来ればお暇なときにでも、お勧めしたい、または一度読んで見てもらいたい少女マンガ一覧を作っていただけるとありがたいなぁと思い、メッセージを送りました。 昔の漫画というものに対してアプローチをしようと思っても、時間的制約や金銭的制約の中でなかなか思いっきり手を出すことが難しいです。しかし、読むべき漫画というものは少なからずあるのではないかのように思いました。出来れば一度、多くのお勧めを出してほしいです。 少女漫画、少女漫画ね。ちょうど昨日、かんでさんと話をしていて、「少年漫画と少女漫画、もし片方だけをのこして二度を読めなくなるとしたら、それはまあ少女漫画を選ぶよね」という話をしたのですが、ええ、好きですね、少女漫画。 まあ、いまの作品だけを見ればあるいは少年漫画を読んでいた方がよほどおもしろいかもしれないけれど、少女漫画には過去の財産がありますからね。 およそ文学でも、芸術でも見ないような天

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    takanorikido
    takanorikido 2010/06/18
    スケバン刑事とフルバは欲しい気が。
  • 人間の四分類と、ぼくが『ラブプラス』にはまらない理由。 - Something Orange

    昨日の夜、スカイプで話した会話が例によっておもしろかった。このところ、次々とおもしろい話ができて、ぼくとしては楽しい。で、例によって、記事としてメモしておこうと思う。 はじまりは例によってフィクションに耽溺せずにいられない人種の話。ぼくら、そういった人種にとっては、重要なのは「事実」よりも「真実」だよね、という話が出た。 この場合の「事実」とは客観的に計量可能なファクトのこと、「真実」とはひとの心のなかにしかない主観的な「当のこと」だ。現実と理想ということもできるだろう。 で、世の中には、ただ単によくできているという次元を超えて、ぼくら幽明の民を惹きつける作品がある。なぜか。そこに「真実」が描きこまれているからだ、という話になった。つまり、そこには「真実なる世界」があるのだ。 この場合の「真実なる世界」とは、すべての願望が満たされる楽園を指しているわけではない。どういえばいいのだろう――

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  • 女の子の半分はバランスで出来ている。 - Something Orange

    takanorikido
    takanorikido 2009/07/16
    紅一点論は良い本だったと記憶している。
  • 女の子だって権力がほしい? - Something Orange

    11日のラジオは「恋愛と女性人物」というテーマで、恋をして「格」が落ちたと思われる人物とそうではない人物を対比しながら取り上げる予定だ。 『花咲ける青少年』のナジェイラは前者の代表である。彼女は中東の小国ラギネイの王女で、生まれつき予知能力を持つ倣岸不遜な聖少女であった。 しかし、クインザという男に恋をすることによってその力を失い、うろたえることになる。そんな彼女を見たある人物は思う。 これは…驚いたな これが当にあのナジェイラか ない物ねだりのただの小娘にもどってしまって 心のより所を失った人間というのは脆い物だ 傲慢で神秘的で聖少女から「ない物ねだりのただの小娘」へ。初登場時に比べて、完全に「格」が落ちてしまっている。こういう変化を、ここでは仮に「堕落」と呼ぶことにしよう。 「堕落」の構造にかんしては、かんでさんのブログのコメント欄で巧くまとめている人がいるので、引用させてもらう。

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  • もしも『ラピュタ』がムスカ視点だったら。 - Something Orange

    色々な作品の悪役/敵役について語った先日のラジオに絡めて、かんでさんが新しい記事を書いている。 「天空の城ラピュタ」に登場する、ムスカというキャラクターは、典型的な悪役の類型を内にふくんだ造形になっている。 ムスカは、少女シータを利用するため、誘拐し確保しようとし、パズーと対立することになっていく。 彼の目的はラピュタの力による世界支配。 劇中終盤においてラピュタの力を得て、彼はその力におごり高ぶり、その醜悪さを見せたように見える。 名台詞「見ろ、人がゴミのようだ」が象徴。 最終的に、シータとパズーに拒否され、滅びの言葉「ヴァルス」によって敗れるのだけど、それが納得のいくように、悪役として演出された感がある。 独学で古文書を解読し、ラピュタの謎に単身迫ったムスカ。 軍に入り、政府を動かして、密命を受けて、ラピュタを探索する、その過程で、彼がどれだけの努力を重ねたか、計り知れない。 居宣長

    もしも『ラピュタ』がムスカ視点だったら。 - Something Orange
  • チンパンジーの命は障害者の命より重いと唱えた学者がいる。 - Something Orange

    たまに自分の日記の過去ログを読んでみると、おもしろい。「何でこんなこと書いたんだろう」と首をひねる記事もある一方、興味深い記事も見つかる。そのひとつが「動物の権利怖いよ、動物の権利」。 「動物の権利(アニマル・ライツ)」を掲げるある団体のQ&Aを取り上げているのだが、これ、実はぼくの意図が全く伝わらずに終わってしまった記事なのだった。 ぼくとしては「動物の権利」そのものを攻撃するつもりはなく、ただこの団体の主張だけがおかしい、というつもりだったのだが、「動物の権利」を全否定する言辞として受け取られたようなのだ。 そして、「動物の権利」なんて妙なアイディアを振りまわす団体がいるぞ、というレベルで話は終わってしまった。しかし、実はもっとはるかに深く複雑な問題を抱える話なのである。 一方、古い記事なのでタイトルは付いていないが、「こげんた」という虐待の末、殺害された子について書いた記事もある。

    チンパンジーの命は障害者の命より重いと唱えた学者がいる。 - Something Orange
    takanorikido
    takanorikido 2009/04/02
    p1と合わせてこの人はガイア教徒になれる素質があると思う。(「怖い」と反対は全然違う。)/↓id:Meat_eating_orchid 修正了解。
  • スピリチュアルペインの時代。 - Something Orange

    ここ一週間ほど、スピリチュアル関係のやら、宗教書やら、哲学書やらを読みあさっている。 それだけを見ると、何か人生に悩みを抱えているようだが、そうではない。ただ、いま、この社会が抱える問題にかんする答えを捜したかったのだ。 もちろん、そんなものがそう簡単に見つかるはずはない。しかし、いくつか、おもしろい「問い」は見つかった。まだ巧くまとまらないのだが、まとまるまで待っていたらいつまでかかるかわからないので、そのことについて書いてみる。 スピリチュアルペインという言葉をご存知だろうか。日常的に使われる単語ではないため、ご存じない方が多いと思う。 まだ明確な日語訳すらない言葉なのだが、あえて訳すなら「霊的な痛み」「たましいの痛み」ということになる。こう書くとオカルトじみているが、あくまで医療用語である。たとえば末期がんの患者が抱える実存的な苦痛のことを指す。 以下の説明がわかりやすいだろう。

    takanorikido
    takanorikido 2009/04/02
    やめとけとまでは言わんがまともな哲学の勉強から入った方がいいと思いまっせー。
  • マザー・テレサは間違えている。 - Something Orange

    昔、自分が書いた人工妊娠中絶にかんする記事を読み返していたら、みごとに途中で中断していて腹が立ったので、新たに書き下ろしてみる。一からまとめ直すので、べつだん、以前の記事を参照する必要はありません。 さて、そういうわけで書きはじめたはいいが、何から語りはじめたものか迷う。いろいろと複雑な倫理的問題が絡む話だけに、なかなか気軽に書きすすめることはできない。 しかし、そう、まずは最もありふれた、そして最も深刻な問いから始めてみることにしよう。つまり、「中絶は殺人か、否か?」。 書いてみてあらためて思うのだが、意味のない問いである。単に「殺人」とは何か、あるいは「人間」とは何かという定義の問題になってしまう。ある意味では殺人であり、またある意味ではそうではない、という程度のことしかいえそうにない。 問題は、それにもかかわらず、「中絶は殺人だ」とする意見が、世にあふれていることだろう。 いや、意見

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    takanorikido
    takanorikido 2009/03/19
    微妙。その『「いのち」の連続性』なるものを断固『断ち切る』のが一神教の要諦で、現代人をその『脳力』差別みたいなボケナスから水際で守っている力もそこから来ている。このいいとこ取りが通用するのは日本だけ。
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  • 萌え文化よ、さようなら。 - Something Orange

    結構前から言われてるかもしれないけど、最近のオタクカルチャーの趣向というか指向性って、完全に「萌え」から「ネタ」に移った感じがする。といっても「萌え」が完全にいらなくなったってわけではなく、最低限の「萌え」要素とかシチュエーションがあって、そこからネタ的に転がしたりメタ視点からネタにしたりする物が増えたっつーか、話題にあがるのはそんなのばっかっという感じ。 もちろん未だに直球の「萌え」重視の作品もあるし、それが一定の支持を得ているけど、かつてほどの勢いは間違いなくないし作品数も少なくなったと思う。 「最近のオタクの半分はネタでできてると思うんだ」 そのことはぼくも感じていた。だから、オタク文化の象徴として「萌え」が取り上げられることには若干の違和感を感じている。 いま、一般メディアや「一般人」のあいだでは、「オタクといえば「萌え」」なのだろうし、オフラインのオタクメディア、たとえば『メカビ

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