ブックマーク / blog.tatsuru.com (2)

  • こびとさんをたいせつに - 内田樹の研究室

    金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。 1年生の基礎ゼミの第一回目。 この何年か、1年生のゼミが面白い。 大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。 最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。 でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。 だから、毎年言うことが変わる。 今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。 言ってみてから、そういえばそうだなと思う。 ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing) も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。 古

  • 日本はどこへ行くのか - 内田樹の研究室

    先週、毎日新聞の論説委員の広岩さんが見えて、「平和を語る」というお題で、しばらくお話をした。 広岩さんは何年か前に私が毎日新聞の紙面批評を頼まれたときに、司会をしてくれた人である。 たいへん冷静で目配りのゆきとどいたジャーナリスだった。 それからは毎日新聞で広岩さんの署名記事があると、まじめに読むようにしている。 お会いしたとき、広岩さんは日の言論の急速な「右傾化」にずいぶん心を痛めていた。 とくに一部で突出している核武装論と、それに対する若者たちの無警戒に危機感を示しておられたので、もっぱら話題はそれに終始した。 先日、テレビ政治討論番組で、あるジャーナリストが、日に外交力がないのは、軍事の裏付けがないからである。防衛にもっと金をかけなければ、日は隣国から侮られるばかりであると主張していた。 それは違うと思う。 日が外交的に国際社会で侮られているのは事実であるが、それは軍事力の

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