ジョン・アーヴィングは「現代のディケンズ」とも称される、米国を代表する長編作家だ。1998年の小説「未亡人の一年」を原作とする映画「ドア・イン・ザ・フロア」が今秋、日本で公開されるのを機に、小説、映画、村上春樹、そして9・11などについて聞いた。(聞き手 ニューヨーク 大塚隆一記者) 「ドア・イン・ザ・フロア」は米東部の海辺の町を舞台に児童文学作家(ジェフ・ブリッジス)とその妻(キム・ベイシンガー)をめぐる一夏の出来事をつづった作品。若手監督のトッド・ウィリアムズが「未亡人の一年」の最初の3分の1のみを映画化した。 「脚本はウィリアムズが書き、私は意見を述べた。撮影後の編集は共同で行った。フィルムの編集は小説を書くことと似ている。映画の出来栄えは素晴らしいと思う。評論家やメディアの評価も高かった。ただ興行成績は散々で、上映されたのは1か月そこそこだった。子供の死、妻の不貞、夫の女遊びといっ
スティーブ・ジョブズ名言集(下) 2006年3月31日 コメント: トラックバック (1) Owen Linzmayer 2006年03月31日 (3/30から続く) 「マイクロソフト社がマックをコピーすることに長けていたわけではない。マックが10年もの間コピーしやすい製品だっただけだ。それはアップル社の問題だ。独自性は消えてしまった」――『アップル・コンフィデンシャル2.0――栄光と挫折の30年』 「デスクトップ・コンピューターの業界は死んだ。イノベーションなど存在しないも同然だ。技術革新とほぼ無縁のマイクロソフト社が支配している。もう終わった。アップル社は敗者だ。デスクトップ市場は暗黒時代に突入しており、あと10年はこの時代が続くだろう。少なくとも、1990年代の終わりまで続くのは確かだ」――『ワイアード』誌1996年2月号 「私がここに戻ってから、当社を呑み込もうとする連中がいなくな
高校1年のころ、外に出られなくなった。特に昼間がつらかった。「同い年の人がガヤガヤと通り過ぎるのがダメで」 パソコンが好きだった。キーを叩いていれば、すべてを忘れられた。「お前のために、パソコンクラブ、作るから」。担任はそう言ってくれたけど、学校は辞めてしまった。 3年間、ひきこもった。悩んだ。大検に合格したが、大学には入れなかった。家庭の事情で追い詰められ、サラリーマンになり、ネットで出会った女子高生と恋をし、結婚して子どももできた。 家族と一緒につつましく暮らしていければいいと、SOHOで合資会社を立ち上げた。知らず知らず、時代の波に乗っていた。1人でやるつもりだった会社は、売上高8億5000万円、従業員72人のネット企業「paperboy&co.」(ペーパーボーイアンドコー)に成長する。 「まさか社長になるとは」――振り返ると、自分でも驚く。家入一真、27歳。饒舌ではない。照れ屋で、
2006.03.03 宮本常一『家郷の訓』を読む カテゴリ:その他 あることばに出会い、そこに立ち止まってしまうことがある。時にはそのことばへの感想すら忘れ、ほとんど虚脱状態でそのことばの前に立ちすくむことがある。宮本常一の『家郷の訓』(岩波文庫)の一節でそういう思いを味わった。 「父は学校で得た学問というのはほんとにわずかであった。その若い日に出稼ぎした社会も文字には縁のないところだったし、結婚してからはずっと田舎で暮らした人であるが、この父が私に出郷に際して実に印象的な言葉をいくつか言いきかせ、これを書きとめさせた。それは、次のようなものであった。 一 自分には金が十分にないから思うように勉強させることができぬ。そこで三十まではおまえの意志通りにさせる。私も勘当した気でいる。しかし三十になったら親のあることを思え。また困った時や病気の時はいつでも親の所へ戻って来い。いつも待っている。
『オキナワの家』や『向う三軒両隣』と言う、子供のための住宅本の仕掛け人『真壁智治』さんのことを書いたら、わきた・けんいちさんが『遺留品研究所』に反応して、『建築学・70年代の批判的サーヴェイ』という記事をアップしてきた。 この『サーヴェイ又はデザインサーヴェイ』という言葉に、1970年代に学生時代を過ごした私たちは、異常反応を示してしまう・・・。こうなるともう大変!!秋山東一さんや真鍋弘さんの心の柔らかいところを握り締めてしまったようで・・・。 サーヴェイの話は、また別に書くとして、宮本常一さんの授業について少し書かなくてはならない羽目になってしまった。と言うのも、私は工学院大学に通っていたのだが、宮本常一さんの授業を受けたくて、武蔵野美術大学に転校してしまったから。今となっては数少ない生授業を聴いた者として、それを思い出しながら語り継がなくてはならない使命感みたいな物を感じてしまったから
常識に縛られない異才・奇才が未来技術を切り開く。常識破り、型破りの発想をもったクレイジーエンジニアを紹介する第二回は、これまでなかったコンセプトでロボット開発に挑むロボットクリエイター、ロボ・ガレージ代表の高橋智隆氏。彼の仕事観から、エンジニアの本質を探ってみたい。 2004年末、一体のロボットがアメリカ『TIME』誌の有名企画「最もクールな発明」に選ばれた。体長40㎝あまりのロボット「クロイノ」。開発者が高橋氏だ。外見のかわいさからして、従来の日本のロボット観を覆すものだが、動き始めると、これまた驚かされる。腕を上げる。体を回す。しゃがむ。起き上がる。こうした動きに、これまでのロボットのような違和感がないのだ。しなやかで、自然な動き。それは歩き始めても同じだ。「中腰にならない二足歩行」を可能にする独創的な機構を彼は生み出したからだ。そして何より驚かされるのは、このロボットを彼はまったくひ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く