「何のために歴史を学ぶのか?」 割と長い間、この問いに答えあぐねてきた自分がいる。恥ずかしい話だが、歴史学を専攻していた大学生の頃、私はこれにほとんどまともに答える事ができなかった(問題意識の高い周囲に対して若干の引け目を感じつつ、いかにウジウジしていたかについては拙著『〈憧憬〉の明治精神史』のあとがきにも書いた)。 それでも学生のころは、鹿野政直『歴史を学ぶこと』などの本を読んで、この問題をひとりで考えたりしていた。 過去を知らないと、現在が絶対化されるのです。その意味で、過去を知ることは現在を相対化する。現在というのは、私がよく使う言葉ですが、秩序としてあるのです。秩序というとすぐ法を思い浮かべます。が、秩序をつくっているのは法だけではない。法は外を規制するのだけれども、道徳はさらに内面を規制する。もっとソフトだけれども、もっと規制力を持つのは慣習でしょう。「ぼくはどっちでもいいんだけ