ブックマーク / sk-44.hatenadiary.org (4)

  • 「獣」などいない - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20091206/p1 ⇒http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20091206/p2 何から書いたらよいものか。いや、hokusyuさんに対してということではない。むろん批判でもない。 「獣」などいない。社会化された悪意に基づく人間のあまりに人間的な行為と、それによって裁かれる者しかない。そして、そのような者をもってして「獣」のレトリックを週刊新潮誌上で用いる――社会化された悪意に基づく個人の暴力を「獣」という「男性の性」へと手間味噌に変換する――高名な作家先生がいる。その社会化された悪意がある。そういう話。そのような構造とその問題の話。その、理不尽極まりない暴力の話。それがなぜここまでこじれるか。この件について言及した人の中で、渡辺淳一の発言それ自体に同意した人を私ははてな界隈で見たことがない。 少な

    「獣」などいない - 地を這う難破船
    takayan
    takayan 2009/12/09
    「表現の自由」を守るためには、「理性」によって表出された「社会化された悪意」とそれに基づく個人の「理性的な」行動こそ非難されなければならない、という主張。 // 「寛容」の意味をもう一度考え直したい。
  • マッチポンプはどこまでも - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091129/1259458069 ⇒はてなブックマーク - 強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ - フランチェス子の日記 ⇒http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091128/1259427578 「なんどめだナウシカ」「曽野先生なので仕方ない」のコンボで個人的に処理(=スルー)するつもりだったが、hokusyuさんが言われる通り、一部のブコメがひどかったので書くことにする。 「強姦するのが男の性」であることは、物理的に去勢しようがしまいが同じこと。「男の性」という言説が、現実の犯罪をもってして説かれることが意味する暴力の問題なので。「男の性」という一般論を偽装する言説が、現実の犯罪をもってして説かれることが、どのような暴力であるか。 「強姦するのが男の性」とは、「男の性

    マッチポンプはどこまでも - 地を這う難破船
    takayan
    takayan 2009/12/01
    「強姦するのが男の性」という言い回しが、男性の単なる「自己正当化」のためのものでしかない、ということを丁寧に論理展開するとこうなる。 // これが「生物学的事実」なら、理性って何のためにあるんですかねえ?
  • リンチ上等と反日上等 - 地を這う難破船

    絶句したので書く。 ⇒はてなブックマーク - 【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ ⇒はてなブックマーク - YouTube - 在特会・東京デモを侮辱する反日シナ人が即撃沈される!(21年9 27) ⇒はてなブックマーク - http://news.2ch.at/news/s/news2ch24160.jpg id:hisamatomoki これはひどい, これはひどすぎる, デモ, 社会, 在特会, 政治, 酷使様  最悪の事態にならなかったことは不幸中の幸い。/ とにかく、こういうバカなことやる連中は右も左も淘汰されるべきだけど。これだから「自称絶対正義」は。/ 日の丸を汚してるのは間違いなくこいつら はてなブックマーク - 【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ hisamatomoki メタブクマ  参加者のところの情報(mixi)だけど、叩いて

    リンチ上等と反日上等 - 地を這う難破船
    takayan
    takayan 2009/09/29
    「顔がない多数派において、「善良な市民」という匿名性において、自らの顔を隠して少数派を威嚇する現実の暴力の様相が、日本社会そのものとしてある」至言。これを打破せずして、日本の真の「民主主義」化はない。
  • 「個人の尊厳」の贖い - 地を這う難破船

    選挙結果が判明して以来色々とゴタゴタして更新が滞りました。都民の私は比例は社民に入れました。 ⇒「種としての個体」と自民自滅後の表現規制(追記アリ - 地下生活者の手遊び ⇒2009-09-04 反論、ということでは必ずしもなく、フォローとして少しコメントを。駆け足の雑駁な議論になりますが。 私の見解では。レヴィ=ストロースの仕事とは、共同体的社会の「可能性の中心」を近代の場所から読み解く試みでした。だから、彼は共同体的社会を人類の事実性の問題として単に主張しているのではもちろんない。共同体的社会の「可能性の中心」に「個人の尊厳」がある、とはたして彼は言ったか。――「個人の尊厳」を何によって贖うか、という問題です。 僕はここで、「権力と自然両者」を「システム」と読み替えますにゃ。 文化とはもともと「自然の鉄則」とか「弱肉強の原理」「世界はこういうもの」とかいった「システム」への否定として

    「個人の尊厳」の贖い - 地を這う難破船
    takayan
    takayan 2009/09/09
    国連の女性差別撤廃委員会の勧告内容「ですら」、日本の性差別に関する問題の核心を正しく捉えられていない、という指摘。問題解決は安易な表現規制からではなく、真の原因解消に対する腰の重さを改めることから。
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