2017年10月1日のブックマーク (3件)

  • 昔はカタカナの方が使われてた。ひらがなと使用頻度が逆転した訳 - まぐまぐニュース!

    普段、私たちが当たり前の様に使っている、ひらがな。実は公的にひらがなが認められるようになったのは、ここ50年ほどのことだということはご存知でしょうか? それ以前は、漢字とカタカナで文章を書くことが主流だったのだそうです。無料メルマガ『古代史探求レポート』は、「ひらがながカタカナに取って代わった」と語り、なぜカタカナとひらがなの立ち位置が変わってしまったのか、それぞれのルーツを明かしつつ面白い考察を紹介しています。 ひらがなに負けたカタカナ 私達は小学生の時に、ひらがなを習い、カタカナを習い、漢字を習います。新聞を読んでも、を買っても、ほとんどが漢字とひらがなで記述されています。しかし、こうなったのは、第二次世界大戦が終わった3年後からで、それまではカタカナがひらがなよりも重んじられていました。公文書も、漢字とカタカナで記載されていました。大日帝国憲法も、漢字とカタカナで記載されています

    昔はカタカナの方が使われてた。ひらがなと使用頻度が逆転した訳 - まぐまぐニュース!
    takeda25
    takeda25 2017/10/01
    “新聞を読んでも、本を買っても、ほとんどが漢字とひらがなで記述されています。しかし、こうなったのは、第二次世界大戦が終わった3年後からで、…”なんだこのひどいデマは…。戦前の本や新聞読んでないのか…。
  • ナポリタン、ソース継ぎ足し半世紀 横浜の名物店閉店:朝日新聞デジタル

    70年ほどにわたって、地元に愛されてきたレストラン「タマガワ」(横浜市中区)が30日、閉店した。50年以上受け継いできたデミグラスソースを使ったナポリタンやオムライスなどの懐かしい味を提供してきた老舗店。多くの客に惜しまれながら、店の歴史に幕を下ろした。 関内駅近くの商店街「イセザキ・モール」から入った路地にレトロなたたずまいをした5卓ほどの小さな洋店がある。店主小沢栄太郎さん(54)の祖父が第2次世界大戦終戦前後に店を開いた。祖父はナポリタンの発祥とも言われるホテル「ホテルニューグランド」(同区)の調理場で働いていたと聞いたことがある。 客の多くが注文するのはやっぱり、ナポリタン。ハムやマッシュルーム、タマネギなど具だくさんで、太麺にケチャップがしっかりと絡み、懐かしい味がする。 隠し味に使うデミグラスソースは「自分が小さい時に、ご飯にかけてよくべていた」。生まれた時にすでにあったソ

    ナポリタン、ソース継ぎ足し半世紀 横浜の名物店閉店:朝日新聞デジタル
  • チベットの僧侶も犬も大処分、中国の文化的ジェノサイド

    <チベット犬やモンゴル馬を中国豚が駆逐する――民族弾圧は血の殺戮から文化抹殺の段階へ> 中国は50年代初頭にチベットを侵略した際と、66~76年の文化大革命中に、チベットと内モンゴルでジェノサイド(集団虐殺)を進めた。 これらの地域を「自治区」として中国の辺境に編入してからは殺戮だけではなく、「文化的ジェノサイド」も行っていると、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は主張する。英オックスフォード大学から2010年に出版された『ジェノサイドのハンドブック』もその事実を認めている。 ダライ・ラマをはじめ、ウイグル人のラビア・カーディル、「世界南モンゴル会議(クリルタイ)」代表のショブチョード・テムチルトといった中国から亡命した3人の民族指導者の話を元に、「文化的ジェノサイド」の実例を挙げてみよう。 チベットが侵略される50年代以前には2500カ所もの仏教寺院があったが、ダライ・ラマがイン

    チベットの僧侶も犬も大処分、中国の文化的ジェノサイド