2024年4月14日のブックマーク (1件)

  • いま国宝・彦根城を見られるのは奇跡に等しい…取り壊しが決定していた城を救った大隈重信のひと言 あの日、あの場所に天皇が巡行していなければ…

    かつて日には300もの城があったが、現在まで天守が残る城はわずか12しかない。歴史評論家の香原斗志さんは「明治政府が出した廃城令により、多くの城は壊されてしまった。12の城が残っているのは、どれも奇跡といえる」という――。 なぜ日には城が残っていないのか 日では、大きな都市は城下町であることが多い。代表的な例でいえば、47都道府県庁の所在地のうち31は、かつての城下町である。明治の廃藩置県後、地域の中心都市に都道府県庁が置かれたケースが多かったが、当時はそれなりの都市といえば、たいていが城下町だったのだ。 都道府県庁所在地だけではない。日には天守が現存する城が12あるが、そのうち弘前城(青森県)、松城(長野県)、丸岡城(福井県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、宇和島城(愛媛県)は、県庁所在地にはない。 明治維新を迎え

    いま国宝・彦根城を見られるのは奇跡に等しい…取り壊しが決定していた城を救った大隈重信のひと言 あの日、あの場所に天皇が巡行していなければ…
    takedaha
    takedaha 2024/04/14
    少し視点が一方的、明治維新は内戦による武力革命、のちの西南戦争も含めいつどの勢力に再度転覆されないとも限らない状況で城は残せなかった。フランスも武力革命だが再三帝政に逆戻りしている中国ロシアは思想革命