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2013年5月30日のブックマーク (6件)

  • 原発問題の合意形成が至難である理由:日経ビジネスオンライン

    池上 彰(いけがみ・あきら) ジャーナリスト。1950年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。社会部記者として経験を積んだ後、報道局記者主幹に。94年4月から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役として、様々なニュースを解説して人気に。2005年3月NHKを退局、フリージャーナリストとして、テレビ、新聞、雑誌、書籍など幅広いメディアで活躍中。2012年4月より、東京工業大学リベラルアーツセンター教授として東工大生に「教養」を教える。主な著書に『伝える力』(PHPビジネス新書)、『知らないと恥をかく世界の大問題』(角川SSC新書)、『そうだったのか! 現代史』(集英社)など多数。 池上:ここまで、社会的合意形成について伺ってきましたが、どうしてもひとつお聞きしたいことが出てきます。それは、原子力発電所、原発についてです。おそらく読者の皆さんも、ここまで読んできて、社会的合意形成

    原発問題の合意形成が至難である理由:日経ビジネスオンライン
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2013/05/30
    良記事 "合意形成とは、「選択肢をつくり出す作業にどういう人たちがどういうふうに参加できるか、そのための場をどうデザインできるか」ということに尽きる"
  • ヘイトスピーチに寛容な言説空間の誕生 - 擬似環境の向こう側

    ―長いので要約― (1)「表現の自由」を維持するためには、社会を構成する一人ひとりが不快な表現に耐えることが必要だが、生存を脅かすような表現を向けられている人たちにまでそれを要求することはできない。 (2)ネット上での「多数派」の形成は歪さが大きいために、ヘイトスピーチ*1が多数のユーザーに支持されているという錯覚を生じさせうる。自己を多数派だと誤認した人たちはネット上でさらにヘイトスピーチを繰り返し、少数派だと誤認した人たちはそれを批判しにくくなっていく。 (3)結果、ヘイトスピーチの日常化が生じ、以前はそれを支持していなかったような人たちにまでヘイトスピーチの正当性が承認されるようになっていく危険性が生じる。 ―文― 以前、「表現の自由」をテーマに論文を書いたことがある。 そこでの問題意識は、マスメディアが中心となってネットがそれに加担し、少数者の声を抑えこむ流れがどのようにして生じ

    ヘイトスピーチに寛容な言説空間の誕生 - 擬似環境の向こう側
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2013/05/30
    これも良記事。"たとえ建前であっても「差別はいけない」という規範が維持されていたのが、ヘイトスピーチの日常化によって溶解してしまう可能性"
  • マイノリティを「代弁」すること - 擬似環境の向こう側

    このまとめ(『彼女たちの売春(ワリキリ)』(荻上チキ著)への違和感)を読んだ。 ぼくは『彼女たちの売春(ワリキリ)』は良いだと思ったが、やはりこういう感想を持つ人たちもいるんだな、というのが正直なところだ。そこで、ここでは以前からぼくが悩んでいることについて書いてみたい。なお、ここでの話は、売春に限らず一般的なマジョリティとマイノリティとの関係についてのものである。 マジョリティ/マイノリティの3タイプ 話を単純化するために、ここでは3つの立場に限定して書いてみる。ここで言うマジョリティ、マイノリティは権力関係に基いて決まる。なので、数の上では少数派でも権力を持っていればマジョリティだし、多数派でも抑圧されていればマイノリティである。 A:マジョリティに所属し、マイノリティの抑圧に加担している B:マジョリティに所属しているが、マイノリティの境遇に同情的 C:マイノリティの当事者 さて、

    マイノリティを「代弁」すること - 擬似環境の向こう側
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2013/05/30
    これは良記事。良い考察。/でもいざひょんなことから自分が「当事者」になってみると、Bの"通りの良い"代弁内容に「実はちょっとそれ違うんだよなあ」とやっぱり感じてしまったりもするんだよね...
  • 政策分析の二つの視点/大屋雄裕 - SYNODOS

    20世紀を代表する法哲学者の一人であったH. L. A. ハートは、法を分析するにあたって内的視点と外的視点を区別する必要性を指摘している。ある法システムの内部にいてその正統性を認めており、法律が守られるべきものとされていることを前提にする内的視点に対し、そのような引き受けのない・外部からの観察者として見るのが外的視点である。 たとえば人々がみなエスカレータの特定の側に寄って立つという事実があるとき、その根拠となる法・規則がないことを知っている我々からは単なる慣習と位置付けられることになるだろう。他方、日を訪れた外国人の目から見ればそこには一定の規則に沿った(ように見える)行為があり、ほとんどの人々がそれに従っている以上「法」が実在しているということになるかもしれない。逆に、ひところまでの未成年者飲酒禁止法のように内的視点からは法として存在していても、まったく遵守されていないので外的視点

    政策分析の二つの視点/大屋雄裕 - SYNODOS
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2013/05/30
    これは良記事。面白い /"だが逆に言えばそのことは、国民の選択に由来する制約条件によって理想の政策が実現しないことの責任を行政が引き受けられるはずはないということも意味している"
  • 佐倉『「便利」は人を不幸にする』:くだらないラッダイト抑圧反文明論。ドラエモンすら読み損ねている。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    「便利」は人を不幸にする (新潮選書) 作者: 佐倉統出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2013/05/24メディア: 単行この商品を含むブログ (5件) を見る 題名を見た瞬間にどんなかわかると思う。便利すぎるのはよくないんだって。生活に不便を取り戻さなくてはならないんだって。消費社会というのは無理矢理、便利を生み出し続けなくてはならず、それがよくないんだって。 ここにある発想は、人々は便利なんか求めていないんだけれど、産業社会とか資家とか電通とか悪いやつらが、無理矢理便利さを人々に押しつけていて不幸になっているという図式。人々はバカで、自分にとって何が幸せかわかっていなくて、したがっておえらい学者様(佐倉みたいな)が適正な不便さを決めてそれを人々に強制しなければ、社会の価値観なるものを無理矢理ひっくり返してやらなければ、というわけ*1。 でも実際は、便利なものを求めるのは一般の

    佐倉『「便利」は人を不幸にする』:くだらないラッダイト抑圧反文明論。ドラエモンすら読み損ねている。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2013/05/30
    コメント欄での弁明って端的に「後釣り宣言」だよね。釣りタイトルにしといて「誤読された」って被害者ぶるのもねえ
  • 富山大学の林衛准教授に対する批判(発動編)

    たとえ更新が遅くても気長に見てください。また、ここの特徴として、一旦書いた記事を修正して再投稿する事もあります。 コメントは承認制です。コメントを書いてもなかなか反映されない時には「コメントを見ている暇が無いのだな」と思ってやってください。 ===コメントされる方は、節度を守る様お願い致します。名無しやダブハン、マルチポストは御遠慮ください。頂いたコメントは、私の気まぐれにより無警告で削除したりしなかったりします。予めご了承ください。=== 初回公開日:2013年05月29日 最終更新日:2013年06月19日 1.はじめに 1)記事を書いた動機 先日(と言っても今年の3月ですから、もう2ヶ月以上経ってしまいましたが)私がTwitterで呟いている【週間PseuDoctor】での林衛氏への批判がAerospaceCadetさんによってまとめられました。このまとめ、意外と多くの方々が御覧に

    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2013/05/30
    もしSTSクラスター内に異論・反論等の多様性があるのならそれを市民の前でopenかつtransparentな形で議論して欲しいんですよね/STSの人自身が「専門家間で見解の多様性がある場合」に常にそう言う対処を求めてきたのだから