日本の伝統的な菓子といえば和菓子であり、日常生活のさまざまな場面で食べる機会の多いものだ。 その原型が作られたのは推古天皇のころといわれ、その後、中国やポルトガルなどの影響を受けながら発達。 江戸時代には現在の和菓子のほとんどが形作られていたらしい。 現代人にとって味だけでなく視覚的な美しさや種類の豊富さも和菓子の魅力なわけだが、昔はどうだったんだろう。 江戸時代の和菓子も、綺麗だったり季節感があったりしたのかな?
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現在から遡ること約170年前、江戸時代後期に描かれた奇想天外な絵巻物「屁合戦絵巻」では、老いも若きも男も女もノリノリな雰囲気で屁合戦に参加しています。遠い昔の日本人はものすごい世界感を持っていたのですね……。 こちらの「屁合戦絵巻」は弘化3年(1846年)に写本された「福山画師 六十九翁 相覧」。おそらく室町時代に描かれたものを江戸時代になってから写しとったもので、現在は早稲田大学図書館に所蔵されています。。 放屁合戦のモチーフは元々、平安時代の天台宗僧侶・覚猷(鳥羽僧正)がユーモアと風刺を織り交ぜた戯画として伝えたもの。かなりぶっ飛んだ放屁合戦の世界観ですが、結構由緒正しきもの、ということのようです。 始まりはこんな感じとなっており、特別変わった様子はないのですが…… 1. 2. 3. 4. 5. 6. 突如、お食事中の隣で「屁合戦」が勃発しています。 7. 8. 大きな盾と鼻手ぬぐいで
21日の朝、各地で観測される「金環日食」。 東京で、前回観測されたのは江戸時代、実に173年前の1839年です。 現代のような計算機もコンピューターもないなかで、幕府の役人が、当時あった観測機器を駆使して観測に挑んでいました。 前回、173年前の金環日食の記録が、東京・三鷹の国立天文台に残されていました。 江戸幕府の天文方が作った「霊憲候簿」という古文書の中にそのとき観測した「金環日食」の様子が描かれています。 金環日食が終わるまでの太陽の高さや欠けた割合などが詳しく記されています。 ではどうやって観測したのか。 別の文書には当時使った観測機器の記録が残っています。 1つは「測食定分儀」という機器。のぞき窓にある目盛りを使い、重なり合う太陽と月の大きさの違いを正確に測ることができたといいます。 それ以外にもまぶしい太陽の光を弱めるためのいわゆる、フィルターの役目を果たす、「避眩鏡」という特
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