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人生と環境に関するtakeoriのブックマーク (3)

  • 誰しも、人である以上は必ず終わる - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    死ぬとかじゃなくてさ。人として。このところ、結構頻繁に「昔、あんなに凄かったのに」とか「あの人のようになりたいと思って仕事してたのに」というケースが多くて。 で、業界の重鎮になっちゃって人の意図とは別の意味で改革や改善の邪魔になってしまったりとか、力の衰えを自覚して消え去ろうとしたりとか、さまざま。 とりわけ、スコアが出る世界だとどうしてもそういう傾向が顕著で。を書いている人なら売れている数だし、営業なら売上や利益の絶対額だし、経営者ならもうそのまんま。コンテンツだと売れた数や評判などにどうしても影響される。これはもう仕方のないことでね。 で、いつか、人は競争の中に身を置くことを恐れるようになるわけだ。切磋琢磨をしなければならない領域から、一線置こうとする。競争している人に影響を与えようとしたり、管理して支配して全体を統括しようとしたりする。自分がまた表舞台に立つと、失敗したとき次がな

    誰しも、人である以上は必ず終わる - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • 労働について - 内田樹の研究室

    月曜の「キャリア教育」の一こまと、専攻ゼミで「働くとはどういうことか」についてお話する。 月曜の方は大教室で180人の学生さんを相手にマイクで講義という、ふだんしないことをする。 お相手は2,3年生。 就活についてはまだ不安だけという学年だけれど、バイトの経験はあるし、キャリアパスのための資格や免状のための科目はすでに履修しているし、セカンドスクールにも通っているものもいるから、「働く」ことについて漠然とした先入観は有している。 けれども、彼女たちの抱いている労働観は家庭教育とこれまでの学校教育の過程でずいぶん歪められている。 彼女たちは「ワーク」を「競争」のスキームでとらえている。 閉じられた同学齢集団内部で相対的な優劣を競うことが「ワークする」ことだと思い込んでいる。 そう教えられて二十歳近くまでやってきた彼女たちには、社会に出てから後は「ワークする」ことの意味が違ってくるという消息が

  • 動画をあげるに至った経緯 - ロビンソンの中の人

    05:35一度漫画日記などで書こうとしていたんですけども、内容が重すぎたため絵にするのを辞めましたが、「テキストだったらまぁいいかな〜!」って思ったので「ダダダー!」って打っていきます自己責任でお読みください。友人や質問とかで"あげる経緯"良く聞かれててテキトーにウヤムヤに答えてたんですけど。まぁ実際はこんなです。 >>08年6月この頃は会社に勤めていました、入社1年半くらいの時期です、某映像系会社です。名前を言えば10人中3人くらいは「あー!あの!」って言ってくれ、某作品を言えば10人中9人が「あれを作ってた会社ですか!」と言ってくれるような会社です。毎年東大やら慶応やらが就活にやってきて倍率20倍くらいの会社です。しかし、ボクは死にかけてました。 ストレスで眉毛とモミアゲが無くなって、数日に1回しか家に帰らないので自分の家にいるのに「え?ここどこ?!」と思ってしまい、たまに休日(12時

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