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建築と廃墟に関するtakeoriのブックマーク (3)

  • 一人の男性が独学で建てた手作りの鉄筋コンクリート集合住宅「沢田マンション」

    コメント欄にて書き込みのあった「沢田マンション」は、テレビなどでも取り上げられ脚光を浴び、今では見学ツアーも組まれるほどの人気なので、知っている人も多いと思うんだけども、素人が独力独学で建てた、高知県高知市薊野(あぞうの)北町に建つ鉄筋コンクリート造の建築物。 wikipediaによると、幼少時に雑誌で見た「アパート」の様子に感動した沢田嘉農(1927年8月11日-2003年3月16日)さんが、1971年、高知市薊野の土地550坪を買い求め、憧れだった集合住宅、沢田マンションの建設に取り掛かる。最初は夫婦2人ではじめたが、後に子どもも加わり、家族一丸となって建設されたんだそうだ。 当初の構想は「10階建て・戸数100戸」という壮大なものだったが、最終形といえる現在は地下1階地上5階建て(一部6階)で、入居戸数約70世帯、約100人が居住している。 増築に増築を重ねた外観から、軍艦島とともに

    一人の男性が独学で建てた手作りの鉄筋コンクリート集合住宅「沢田マンション」
  • ドイツが撮影した巨大スラム街、九龍城砦(香港)解体直前1989年のドキュメント映像|カラパイア

    九龍城砦は、香港・九龍の九龍城地区のことで、かつてはそこに巨大なスラム街が形成されていたところ。 1898年、イギリスが中国清朝から香港島や九龍に隣接する新界、及びランタオ島をはじめとする香港周辺200余りの島嶼部を99年間租借したのだが、九龍城砦は例外として租借地から除外され清の飛び地となった。後にイギリスの圧力で清軍・官吏等が排除されてしまい、以後中国大陸が中国国民党率いる中華民国となって以降も、事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となったんだ。 香港政庁の力も、英国の管理も及ばないこの地に、中国大陸からの流民がなだれ込みバラックを建設、その後スラム街として肥大化していった。「東洋の魔窟」と呼ばれ、「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。 1984年の英中共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、返還されることが確定。1984年、香港政庁が九龍城砦を取り壊し、住民を

    ドイツが撮影した巨大スラム街、九龍城砦(香港)解体直前1989年のドキュメント映像|カラパイア
  • 廃村に行ってきたよー。 無題のドキュメント

    1 :以下、名無しに かわりまして VIPがお送り します。[( ゚ 毒゚)]:2009/11/25(水) 00:00:53.65 ID:Rz/JwYU00 ( ゚毒゚)< 行ってきたよー。       入り口には 作業小屋みたいなんが       いっぱい並んでたよー。 【廃墟】 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]: 2009/11/25(水) 00:01:36.15 ID:9KYzK2am0 はい、そんですか。 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]: 2009/11/25(水) 00:01:54.58 ID:Rc4IHCAE0 おいなんで俺の家晒してんだよ 5 :以下、名無しにかわりまし てVIPがお送りします[sage]:2009/11/25(水) 00:02:08.25 ID:lVPHmpHI0 ほう 8 :以下、名無しにかわりまし て

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