上記の「5分休憩」の説明はポモドーロテクニックが普及する過程で発生した謎の儀式/villagepump/nishio.icon

普段、メインで使っているPCがMacBook Air 2018なので、さすがにDockerでコンテナをたくさん立ち上げたまま、ブラウザで調べ物する、みたいな使い方が辛くなってきた。夏場はファンも凄い回っちゃうし、レスポンスはすごく悪くなるし。 メインPCを買い替えようかとも思ったけど、ブラウザを使うくらいの作業なら特に不満は無い。それにそもそもメインPCでLinuxが動いている必然性も無いし、画面も要らないのでサブPCとしてデスクトップPCを用意して、Linuxをインストールする方に方向に転換。 部屋に大きなデスクトップが有るとサイズ的に圧迫感が有るし、複数のマシンのファンの音が同時に鳴るのは苦手なので(データセンタではないので...)、作業している場所から離れた所の隙間に設置できるような、1リットルサイズの小型PCを探すことにした。 Amazonとかで探すと色々と出てくるけど、それなりの
眠いので、何かネットフリックスで再生して、音だけ聞きながら目を閉じて、面白そうだったらちゃんと見よう、と思うじゃないですか 本当はナイブズアウトとか見たいんだけど、俺は断然字幕派で、しかし英語力が低いので、洋画を音だけ聞いても多分1割も話がわかんない なので、まあ邦画でも見っかあ!となったときに、ちょっと前に話題になってた「花束みたいな恋をした」が目に入る 俺は恋ってそもそも嫌いなんで(理由:顔や体型がキモくてモテず、恋愛にコンプレックスがあるから)、流行ってた当初からもうエンガチョボックスにインして、無視してたんだけど、しかし、"マジでどうでもいい"ではなく、"エンガチョ"というのがポイントなんですよね 俺にとって、そもそも、「花束みたいな恋をした」は、"道に落ちてる軍手"ではなく、"道に落ちてるフレッシュな人糞"だったんだ ゼロじゃなくてマイナス、見る前から反感を覚えるタイプのものだっ
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