晩年に、ルー・ドナルドソンと来日したときの公演をききましたが、確立したスタイルを持っているので、つまらなかったりとか衰えたりといったことは全くなく、その健在ぶりに嬉しくなりました。学生時代に工学部電気科のオーディオファンに、自作のスピーカーの試聴に無理やり付きあわさせられ「ソウル・ジャンクション」を聴かされたのが、ガーランドのリーダーアルバムとの出会いでした。 レッド・ガーランドは、はじめクラリネットとアルトサックスをプレイしていましたが、兵役についた際からピアノに替えています。1945年にはビリー・エクスタイン・バンドの一員となり、退団後は55年まで、ニューヨーク、フィラディルフィア、ボストンで演奏し、チャーリー・パーカーやコールマン・ホーキンス、レスター・ヤングらの伴奏を務めたこともありました。 55年にマイルス・デイビス・クインテットのメンバーになり知られるところとなり、58年ま