それを認めればテレパシーの存在も有力になるしスプーン曲げも納得できる。というか人は間違った事でも主張できる。だから反論も自由である。それで終わりでいいのではないか。それで済まないのは他人への視線だろう。それでは詐欺まがいの事で被害に遭う人が沢山出る。迷える子羊は崖に転落しないよう安全な場所に導いてあげなければならない。キャッチャー・イン・ザ・ライか余計なお世話か。また誤った考えが蔓延すれば科学の相対的地位は低落し予算配分も減少する恐れもある。これも経済活動の一環か。
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