(底本:『日淳上人全集・上巻』p.98) 解題: 後の日蓮正宗・第六十五世御法主上人であられる、日淳上人猊下の、ご登座のはるか前の論文です。 この論文の中で、【危篤な状態】【危篤な時期】とあるのは、せんじ詰めるところは、日本が満蒙開拓という大義名分のもと、植民地政策の拡大にずるずると引きずり込まれていく中で、太平洋戦争に向けた日米の対立が深刻化してきたことにあります。 この掲載文は原文そのままではわかりにくいので表現を緩和してあります。 (解題ここまで) 内閣審議会ができて重要国策を俎上に載せる体制が整うことになった。世間的には、これについて受け入れるべき・受け入れざるべきの二論がある。けれども、私心を離れて国家の現状を察するとき、何人といへども、かくのごとき組織の設置が当然であると考えられるであろうと思ふ。 まったく今日の状態については、一切の国家機構がことごとく是正・更新されなければな
文章:蒼崎青太郎(twitter:@seitaro_aozaki) 1945年8月6日の午前8時15分。マリアナ諸島のテニアン島から飛び立ったB–29”エノラ・ゲイ”より投下されたウラン型原子爆弾リトルボーイは、横向きにスピンしながら落下していき、投下目標であったT字型の相生橋のやや東南に位置していた島病院の上空600メートルで炸裂しました。 炸裂した原子爆弾の閃光と衝撃波(マッハステム)は建築物のほとんどを一瞬にして破壊し尽くし、ありとあらゆる生命を焼き尽くしました。 その広島への原爆投下の日から74年の歳月が経ちます。 僕はこれまで数多くの原爆に関する本を読んで来ましたが、中でも原爆を語る上で絶対に外せないと思う一冊があります。 それは『ヒロシマはどう記録されたか』というタイトルの一冊です。今回はその本を紹介します。 後世に必ず残すべき被爆当日の貴重な記録 本書は2003年にNHK出版
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く