東京ナゼココ立ち食いそば手軽に食べられ、忙しいときにありがたい立ち食いそば。そのお店のほとんどは、人の行き来が多い駅前や繁華街などに多い。ところが探してみると、実は意外な場所にポツンとお店があったりもする。どうしてここに……? な立ち食いそば店をソバット団・本橋隆司が訪ねます。
「歩行者」を意味する英語「ペデストリアン」が冠された「高架型の歩道」で、駅前デッキとして設置されていることが多い。最大の特徴は建物と接続されていることで、地上階へ降りることなく、周辺施設へ快適に移動することができる。ちなみに、日本初のペデストリアンデッキは1973年につくられた柏駅東口デッキであるといわれている。 「ペデストリアンデッキを見ると、心が洗われるんです」とは、島さん。隣では、JINさんがウンウンと深く頷うなずいている。早くも2人の偏愛の兆しが垣間見え、意表を突かれた。 島さんがペデストリアンデッキにのめり込んだのは、6年ほど前。映画ライターの仕事で立川のシネマシティへ行ったとき、何の気なしにデッキに上がったことがきっかけだった。 「デッキから見る夜の街はキラキラ輝いていて。世界が全く違って見えたんです」。 奇しくも福島出身で日本最大級の仙台駅前西口デッキが身近だった島さん。「こ
東京都心、原宿駅からすぐという立地に鬱蒼(うっそう)とした森がある。誰しもその名は知っているが、そもそもどんな成り立ちなのか。明治神宮には、ひとつの時代そのものの歴史が刻まれている。広大な境内を散策するための見どころを紹介しよう。 明治神宮は、明治天皇とその皇后である昭憲皇太后を祀っている。明治45年(1912)7月30日に明治天皇が崩御されると、御陵は京都の伏見桃山につくられたが、東京にも何かしらのよすがを、という声が多く上がり、おふたりの御霊を祀るための神社として創建された。大正9年(1920)11月のことである。都心にあってアクセスもしやすく、例年、初詣では日本一の参拝者数を集める神社として名が知られているわりには、その成り立ちは案外知られていない。 明治神宮総務部広報調査課の福徳美樹さんに、お話を聞いた。 「神社がある内苑と、神宮球場やイチョウ並木、聖徳記念絵画館などがある外苑とセ
所沢の変化が止まらない。コロナ禍に駅東口に『グランエミオ』がグランドオープンし、西口駅前にはタワーマンションがまた一つ増えた。『西武』の裏には鉄板で囲われただだっ広い更地。ここ何だったっけ……? 「昔はヘリポートや、西武鉄道の車両工場がありました。これからは映画館も入る大型商業施設ができるそうですよ」 と、『Sukeroku Coffee!』の店主で地元っ子の岡﨑博之さんが教えてくれた。 その一方、駅からそう遠くない住宅地では突然空がぽっかり開け、茶畑が広がる。所沢でお茶?と思うが、所沢市は入間市に次ぐ狭山茶の生産地で、市の茶業協会会員は80名以上も。ことのほか多く出合える所沢の原風景なのだ。 「うちは農家で10代目。曾祖父からお茶を始めたんです。この一帯は昭和50年代まではもっと畑でしたね」 とは、『増田伊之助茶園』の増田義紀さん。すぐそばの茶畑で摘んだお茶がいつも飲める、うらやましい環
味は忘れました。 雑誌『散歩の達人』2021年12月号からスタートした、ロックバンド「トリプルファイヤー」ボーカル・吉田靖直によるエッセイ連載。テーマは一応「食」しばり。雑誌発売から数カ月遅れで配信します。 学生時代、サークルの先輩がトータス松本の「明星」という曲をよくカラオケでうたっていた。サビの「何もかも 間違いじゃない/何もかも ムダじゃない」という歌詞は、世をすねていた私の心にも真っ直ぐに響いた。 私は当時、先の見えないバンド活動や就職活動に焦りを抱えつつも一日の大半をギャンブルや携帯のゲームなどに費やしていた。そんなどうしようもない時間すら、人生という長いスパンで見れば何ら間違いではなくムダでもない、そんな風に自分を肯定してもらえた気がしてうれしかったのだ。 数年後、テレビで偶然トータス氏が自身の過去について語っているのを見た。彼は服飾の専門学校に通っていた頃から毎日ひとりで河川
海外の美味をそのまま日本に持ち込むのは、料理店の場合、意外としんどい。その味がお客さん=不特定多数の日本人に支持されなければ、商売として立ちゆかないからだ。いつしか姿を消してしまったり、受け入れられやすいよう魔改造の洗礼を受けたりするケースが少なくない。台湾料理もしかり。約20年前、台湾の有名ルーロー飯チェーン「髭鬚張魯肉飯」が上陸、本場の味をリーズナブルに供していたが、時代が早すぎたのか消えてしまったし(金沢店のみ営業)、一方で台南発祥の担仔麺を魔改造しまくった「台湾ラーメン」は定着するなど、本場の味を貫くのは一筋縄でいかないのである。 『合作社(フゥズォシュア)』の店主、黃さんも昨年2021年のオープン当初、不安にさいなまれたという。だが時は台湾ブームの最中。現地そのままの味にこだわりまくった『合作社』の小吃(シャオチー)=軽食は、当たり前のように受け入れられた。まず在留台湾人の間で話
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