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記事に関するtamai0911のブックマーク (83)

  • Google Reader

    Thank you for stopping by. Google Reader has been discontinued. We want to thank all our loyal fans. We understand you may not agree with this decision, but we hope you'll come to love these alternatives as much as you loved Reader. Sincerely, The Google Reader team Frequently-asked questions What will happen to my Google Reader data? All Google Reader subscription data (eg. lists of people that y

    tamai0911
    tamai0911 2010/01/07
    私たちが自分たちの国民的アイデンティティとして、それに基づいて思考し、行動するのはいつだって「歴史的事実」そのものではなく、「歴史的事実として選択された『物語』」だからである。 「ほんとうは何があった
  • コラムニスト宣言 - 偉愚庵亭憮録

    忙しい。 毎月のことだが、ほとんどすべての仕事が最初の一週間に集中している。今日一日がんばったら、2~3日ぼんやりして、それから先のことを考えることにしよう。 ところで、朝日新聞がやっている「ジャーナリスト宣言。」キャンペーンって、ちょっと変だよね。 朝日新聞のご案内ページ 「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」 あれのCMをテレビで見ると、微妙にはずかしい気持ちになる。 なぜなんだろう? おそらく、朝日新聞社自身が、自分たちの「言葉のチカラ」を信じていないように見えるところがイタイのだと思う。 なにより、「言葉のチカラ」と、「力」をカタカナ表記にしているところがよろしくない。コピーライターの心のふるえが露呈している、というのか、斜に構えている感じがするわけだ。 「それでも私たちは信じている、言葉の力を」 と言い切

    コラムニスト宣言 - 偉愚庵亭憮録
    tamai0911
    tamai0911 2009/11/18
    ところで、朝日新聞がやっている「ジャーナリスト宣言。」キャンペーンって、ちょっと変だよね。
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●リベットによれば、我々の知覚意識は、外界に対して常に0.5秒遅れているという。実験では、脳への電気的刺激が0.5秒以上持続しない場合、その刺激は受検者に意識されないらしい。つまり、脳の神経細胞は、0.5秒以上持続しない刺激は意識にのぼらせない。刺激が0.5秒持続してはじめて、人はそれを意識する。たんなる脊髄反射ではなく、脳による計算過程を経た反応でも、無意識の反応であれば、外的刺激から0.15秒程度の遅れで対応出来るらしいのだが、意識はそれからさらに約0.35秒遅れてやってくる。それはつまり、先に無意識のうちにからだが動いてしまってから、後付け的に意識がその根拠を構成するということだろう。私がこのように考えた、あるいは感じたから、このように動いた、というのではなく、先に、このように動いてしまったという事実から、その言い訳として「原因」としての意志-意識がねつ造される、と。原因-理由は事後

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    tamai0911
    tamai0911 2009/11/11
    我々の意識は、決して「今を生きる」ことはなく、意識にとっては現在すらも既に想起としてある、ということではないか。我々は現在を思い出しながら生きている。現在こそが想起である、というこの事実こそが、フィク
  • グーグルが本を殺す? - 恵文社一乗寺店|店長日記

    先日のニュースによると、米司法局が連邦裁判所に対してGoogleブックサービスの和解案を承認すべきではないとの助言をしたそうです。これによって10月の承認審理にどれくらいの影響があるのかはわかりませんが、少なくともGoogleのやり方が独占禁止法などに抵触するという考え方がより浸透しそうです。これまでに新聞や雑誌などでGoogleブックサービス関連の記事をいくつも目にして来て、いつも何かしらの違和感を抱いていたのですが、先日出版されたわかりやすく流れをまとめた『グーグルを殺す』*1を読んでみて、この自体に対して感じた違和感を含め、書店の立場として色々と考えてみました。まず、世界中のをデータ化し、誰しもが平等に閲覧できるシステムを作り上げるというGoogleの理想自体を否定する理由は見当たりません。国会図書館だって誰しもが情報にアクセスできる国内出版物の巨大なアーカイブを目指している

    tamai0911
    tamai0911 2009/11/11
    "Don't be evil"が社訓のGoogleですが、邪悪にならないと志せるのは、社内にいる人間一人一人であって、それらの集合体である私企業は別人格を持っています。
  • 未映子の純粋悲性批判: 悲しみを撃つ手

    忙しいんかも知らんけど日記くらい書け、とあるお方から愛あるお叱りを受けて、 まあ忙しい、忙しいけれども常軌を逸するのはおろか忙殺されるほどでもなんでもなく、寝るのはきっちり8時間もあるどうしようもなく健康的なわたしは、 そうよ、書くわよってんで、書きます。 まあ忙しいのよ。や、忙しいという定義からしてようわからん。だって自由業みたいなもんで、なんもないし、やることがあるけれども、そんなぎゅうぎゅうでもないし、歌うたったり録音したり歌詞書いたり人にあったり打ち合わせしたり、っていうのがわたしの大事な大事な仕事ですが、まあ、それとて好きでやってることで、大体そういうのにまつわる忙しさなんていうのは忙しいのでもなんでもない。でも頭の中はどうかというと、不穏である。不穏の粋の巣屈であって、こう、山手線、はたまたタクシーに乗っておっても、はたまたオムライスをべていてもこう、何かしら、いるだけ

    tamai0911
    tamai0911 2009/08/10
    まあ気分を。気分を笑って、それが出来れば、こう噴水のきらめきを見て、晴れ渡る青々とした天を見つめつづけたとて、世界に余計な意味を付け足そうとするわたしのこのどうしようもない醜悪を、可愛いもんよと、フィ
  • すべては言葉から。 - 考えるための道具箱

    私たちの仕事はものを製造することではない。クライアントのマーケティングとマーケティング・コミュニケーション策定作業をサポートするサービスである。したがって、商品や営業現場の実態、さらには事業構想について知見はクライアントにかなわないとしても、生活者への洞察、思考の整理法、コミュニケーション効率、正しい言葉といった知識については、たとえ微差であっても、つねにクライアントの先を行くべく努力を重ねなければならない。同時に、先にあげたようなクライアント固有の知識については、つねに教えを請う姿勢で臨まなければならない。 つまり、学び続けなければ私たちの仕事は成り立たない、ということだ。こういう言い方をするとすぐに、OK、じゃあ教えてください、研修を!といった発想になる人がいる。もちろん、研修といった制度的な学習機会は重要だし、学習の根源では人との対話がかかせない、いやむしろ対話こそが学習だ、といえる

    tamai0911
    tamai0911 2009/07/30
    そういった慣用語にある手垢は よほど計算づくでないとノイズに なってしまうのですよね。 それなら普通の言い方で、何かを 正しく伝えようとするほうが 耳の右から左に抜けてしまわない 言葉が選べるような気がします
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●あたらしく書く作家論のために、その作家の小説を改めて読み直すことをはじめた。この作家のは余白が多いので、絵が描き込みやすい。線的に流れる文章で表現されたものを、一望できる絵や図という形に置き換えて理解するのは邪道ではないかと、ぼくも思う。でもこれは、ゆっくり、じっくりと読むための技法なのだ。絵を描くためには、何度かそこを読み返す必要があるし、どんな角度から、どんな風に描くのが適当なのかを考えるし、何より、絵を描いている間は次のページに進めない(のそのページに直接描き込むので)。描いているその間の時間、ひとつの場面、ひとつの文章に留まっていることが出来る。絵を描くことそのものが目的なのではなく、そのようにして、同じ場面を何度も反芻し、反芻を繰り返しながらゆっくりと進んでゆき、その小説の内部に長い時間留まっていることこそが重要なのだ。それと、手を動かしながら読む--考える、ということも、

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    tamai0911
    tamai0911 2009/07/03
    つまり、外れた夢に関しては当然だから誰も問題にしないが、たまたま当たった夢だけを人は取りあげてさわぐのだ、と。それに対しベルグソンは反論する。それは問題の立て方が間違っている、と。この話で重要なのは、
  • 【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(上) : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    村上春樹氏(60)が作家生活30年を経て発表した長編『1Q84』(新潮社)は、現実から少しだけねじれた世界で進む物語だ。どのように発想され、どんなテーマが込められたのだろう。(尾崎真理子) 村上(以下M) G・オーウェルの未来小説『1984』を土台に、近い過去を小説にしたいと以前から思っていた。もう一つ、オウム真理教事件がある。僕は地下鉄サリン事件の被害者60人以上から話を聞いて『アンダーグラウンド』にまとめ、続いてオウムの信者8人に聞いた話を『約束された場所で』に書いた。その後もできる限り東京地裁、東京高裁へ裁判の傍聴に通った。 事件への憤りは消えないが、地下鉄サリン事件で一番多い8人を殺し逃亡した、林泰男死刑囚のことをもっと多く知りたいと思った。彼はふとした成り行きでオウムに入って、洗脳を受け殺人を犯した。日の量刑、遺族の怒りや悲しみを考えれば死刑は妥当なのだろうと思うが、基的に僕

  • 「モスキートは、たむろする若者たちを立ち去らせる簡単で、安全で、優しい方法です。」 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

    引越し遍歴パートⅡ 2018年に「上京して10年で引越しを6回した」というブログを書いた。 月日は流れ、あれから6年…さらに2回の引越しをした。ホテル暮らしも含めると3回かもしれない。 前回の記事では主に神奈川〜千葉〜東京の引越し事情を書いた。関東の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたに過…

    「モスキートは、たむろする若者たちを立ち去らせる簡単で、安全で、優しい方法です。」 - 【海難記】 Wrecked on the Sea
  • KYのES細胞が癌化する。 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

    [rakuten:book:13069077:image][rakuten:book:12728794:image]『新潮』6月号に掲載されている川上弘美+福岡伸一の「いのちのふるまいを記述する方法」を読む。(2009年3月25日・紀伊国屋サザンシアターにて) 福岡 私も川上さんの小説を読んで、いろんなことを考えさせられました。『どこから行っても遠い町』の表題作の主人公は、自分は何事も決めずにここまで生きてきたという人物ですが、ある時「でもそれは、違っていた」と気づく非常に決定的な場面がありますよね。にも娘にも愛人にも、何も決定的なことを言ってこなかったし、すべてを委ねて生きてきた。それにもかかわらず、自分が存在しているだけで、何かを決めていたんだと気づく。その場面を読んだ時、私はちょと震えてしまいました。 川上 どうもありがとうございます。 福岡 実は細胞の世界にも、それと同じことがあ

    KYのES細胞が癌化する。 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●吾橋のアサヒ・アートスクエアで、振付・捩子ぴじん、出演・神村恵、福留麻里「sygyzy」(「グロウ・アップ・ダンス・プロジェクト」)。素晴らしかった。無理してでも観に行って当によかった。何がなんだかよく分からないが、とにかく面白い。面白いっていうのは、意味もなにもなく、ただ、いきなり面白いということなのだ。はじまったその瞬間から、えーっ、という驚きに包み込まれ、からだじゅうがもう、面白い面白いとざわざわしはじめる。一人のダンサーが体よりも大きな木の板を引き摺る。その後について歩くもう一人のダンサー。かと思うと、くるっと振り返ってタタッと走って板から遠ざかり、またくるっと振り返って、走って板に近寄り、ダッと板に飛びつき、しがみつく。板はダンサーの重みでしなる。最初はもう、あっけにとられて、ぽかんと口をあけて眺めていたのだが、しばらくして少し落ち着く余裕が出来ると、ぼくは今、「芸術の核」

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    tamai0911
    tamai0911 2009/04/28
    ナマで、バスター・キートンの最もハードな部類にはいるようなパフォーマンスが、延々と、無表情なまま、反復されている、と言えば、多少はイメージが掴めるだろうか。あるいは、凄く動くベケット、とか。
  • ■ - 続moss

    木村敏『自分ということ』(ちくま学芸文庫)を読んだ。1976年から79年に発表された論文集。「もの」的な西洋語の「自然」と「こと」的な東洋語の「自然」の違いは、学生のとき建築史の講義で説明された記憶がある。細かくは覚えていないけど、出典はこのへん(至西田幾多郎)にあったのかもしれない。 イギリス式庭園が自然に対して写実的であるとするならば、日の庭園は自然に対して表意的である。イギリス式庭園が来の自然のコピーとして、不特定多数の人びとのために手軽な代用的自然を提供する「公園」であるのに対して、日の庭は、そこに表意されている自然の真意を鋭敏に感じとる主体の側の感受性を期待して作られるものであって、したがって当然のことながら、鑑賞能力を有する少数の人だけのための私的・閉鎖的な芸術作品という性格を帯びる。(pp.26-27) つまり、「……ということ」という言いかたの中には、私自身の世界に対

    ■ - 続moss
  • 穂村弘氏インタビュー : 恒信風同人の出版物

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  • 美的判断は、 - 偽日記@はてなブログ

    ●美的判断は、共同性とも社会性とも関係のない、あくまで孤独なものだ。徹底して孤独なものだからこそ、共同体や社会と関係なく、あるいは文化とは関係なく、あらゆる人に対して「より無防備に開かれている」可能性を持ち得る。美的判断が、社会性を担保にしたものであれば、特定の社会に属さない人をはじめから除外することになるしかないだろう。 美的判断はコミュニケーションとは関係がない。岡崎乾二郎が『経験の条件』のあとがきで、ウィトゲンシュタインの「自分の見ている青と他人の見ている青とが同じであるとは限らない」という懐疑を、そもそも「自分の見ている青と自分の見ている青とが、同じであるとは保証されない」と書き換える時、そこに重要な差異が生まれる。前者は結局、言語ゲーム(コミュニケーション)の問題でしかないが、後者は「美的判断(美的経験)」の問題となる。芸術によって与えられる「美的な経験」の質は、誰とも共有出

    美的判断は、 - 偽日記@はてなブログ
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    tamai0911 2009/03/12
    つまりそれは転移関係からの離脱ということで、ぶっちゃけ、他人の顔色をうかがわなくてもよくなるためにこそ、勉強が必要なのだ。
  • お笑いはお笑い芸人にしか分からない、ということ - ニッポンの「お笑い」 − 「お笑い」文化批評宣言−

    僕は知らなかったのだけど、2年ほど前に、「検索ちゃん」で、爆笑問題太田光、品川庄司品川、土田晃之の3名が、そのタイミングのM-1グランプリについて誰かが「今年のM-1は小粒ぞろいだった」と書いていたことを巡って、「お笑い評論家って一体何なのか?」「ネタを作ったことがあるのか?舞台で結果出したことあるのか?」というようなやりとりをしたことがあったらしく、そのことが当時、ネット上で小規模な議論を引き起こしたらしい。 http://d.hatena.ne.jp/Sugaya/20070510/1178791853 大体同じような時期に、保坂和志と高橋源一郎が、(高橋源一郎は保坂和志に同調する感じで)「小説のことは小説家にしか分からない」という趣旨のことをよく言っていて、僕は単純にそのことを思い出した。 作者は、無数の選択肢の中から、その都度、ただひとつの言葉を選び、ひとつの言葉の連なりを形作る。

    お笑いはお笑い芸人にしか分からない、ということ - ニッポンの「お笑い」 − 「お笑い」文化批評宣言−
    tamai0911
    tamai0911 2009/03/11
    しかしながら、おそらくは具体的な体験談として語られるそのような言い分も、多くの読者にとっては、秘教的な神秘主義(超越的な自然に対して、雨乞いをするシャーマンとしての作者、のようなイメージ)としてしか捉
  • 3月5日 晴のち曇 | Chance Operation

    が朝からかぼちゃの天麩羅をあげている。朝から揚げたての天麩羅。はときどき唐突にそういうことをする。でも天麩羅うどんは美味かった。 放心。空を眺めながらぼんやりと歩く。頭の調子が悪いわけではないが、何かまとまったことを考えることができない。 午後になると急に風が出てきた。俄かに空が曇り陽が翳る。辺りが暗くなる。すこし肌寒い。喫茶店に入った。 コーヒーを飲みなら、ヘッドフォンをつけ、音楽を聴く。昨日買った坂龍一『out of noise』。鮮やかな響きに圧倒される。頭の中に、ものすごく解像度の高い景色が開けていくような、開放感が広がる。 前に読んだ、たしかロボット工学の研究者が書いただったと思う。私の意識は、私の身体を統御してはいない、と書かれてあったのを読んだことがある。私の意識は、つねに遅れて、私の身体の諸反応を「追認」している、というのだ。 「世界」は、「身体」の諸反応の束で出来

    3月5日 晴のち曇 | Chance Operation
    tamai0911
    tamai0911 2009/03/09
    前に読んだ、たしかロボット工学の研究者が書いた本だったと思う。私の意識は、私の身体を統御してはいない、と書かれてあったのを読んだことがある。私の意識は、つねに遅れて、私の身体の諸反応を「追認」している
  • 巧みに生きるか、善く生きるか、…… 平野啓一郎公式ブログ

    公開時の宣伝用に何かコメントをもらえないかと、『善き人のためのソナタ』という映画のDVDが配給会社から送られてきて、週末に観たのですが、これが当にいい作品でした。 詳しくはこちらをどうぞ。 http://www.yokihito.com/ 内容は深刻ですが、がんばって見なきゃいけないという感じがなくて、色々なことを考えているうちにあっという間に時間が過ぎてしまいます。その意味でも、見せる技術が高い映画だなと感心しました。 この映画のテーマは、僕なりにザックリと解釈すれば、「人は巧みに生きるべきか、それとも、善く生きるべきか」ということです。これは、決して冷戦時代の旧東ドイツに限ったことではなく、現代の僕たちにもそのまま当てはまる非常に大きな問題だと思います。 個人的に、この問題について意識的に考えるようになったのは、今月末発売の『あなたが、いなかった、あなた』に収録されている「『フェカン

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    tamai0911 2009/03/06
    僕は、前者をシニカルに肯定するのがイヤなんですが、保守反動的な立場から後者の側に経つのもイヤなんですね。「美しい国」がどうしたこうしたという話を耳にすると、本当に、なんというか虫酸が走ります。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 町田康さんの経験論!

    2005-06-17  Photo : Yasuo Yamaguchi [Hobo Nikkan Itoi Shinbun] All rights reserved by Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005

  • 高橋源一郎『退屈な読書』 - 那須日記

    読書 高橋源一郎さんの『退屈な読書』を読み終わる。「読み終わる」とはいっても、このはいつまでも「読み終わった」と思わないのが特徴で、僕はこのを、おそらく2回か3回は通読していて、通読まではしなくとも気になったところを拾い読みするということを何年も続けている。だから今回の「読み終わる」も、3回目か4回目の通読を果たした、といった程度の意味しかない。* この『退屈な読書』に限らず、高橋さんの書評(『もっとも危険な読書』とか『いざとなりゃくらい読むわよ』とか)はどれも、こまかく見ればいろいろな書法を駆使しているのだが、主な(というか目につく)やり方は、以下のふたつだ。 1、あるを読んで、問いを立て、それに答える 2、あるを読んで、問いを立てるものの、それには答えないずいぶんおおざっぱなまとめだが、このふたつの方法が高橋さんの書評のいたるところに登場するのは確かだと思う。そしてこの方法

    tamai0911
    tamai0911 2009/02/24
     われながら「おセンチだなぁ」とは思うものの、『退屈な読書』のなかの「晴れた日には、えの木ていで本を読もう」の章は、何度読んでもじーんとしてしまう。後半を引用してみよう
  • ほぼ日刊イトイ新聞 -荒俣宏、インターネット荒野への旅

    第8回 多重人格と、商品以前の企画。 (※インターネット論になってきたところで、 ネット社会で人が何をするかというような パソコン雑誌のよろこびそうな話題になるよ。 だけども、やっぱりこのふたりなので、 先端技術の成り行きというよりは、 生き方の方向に話が進んでいくのです。 どうぞ、おたのしみくださいませ) ------------------------------------------ IT革命が革命かどうかは別にして、 ぼくが見る限りでは少なくとも最近の変化は、 人間の業のごく自然なプロセスであって、 もうこういう方向に行くのは、2000年くらい前から あらかじめわかっているという感じがします。 最初は、みんな文字が読めなかったですよね。 しかも、文字を読めても、その意味や 昔の格言だとかソクラテスが誰かがわからないと 読んでいても意味がないので、そうなると 当時の1億人もいなかっ

    tamai0911
    tamai0911 2009/02/20
    ネタを仕入れて自分を工場にして そのサービスを商品化して発信するという これまでの考えそのものが、 工業化社会的な発想の表れなんじゃないかなあ。