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blogと興味深いに関するtamai0911のブックマーク (9)

  • 解釈と思考

    21:57「道具自体は悪ではなく、使う人が悪なのだ」。問題意識自体が間違っていると思う。たとえばある道具を使って犯罪が起きたとすると、もちろんその道具を使った人間が悪いことはその通りだとしても、ではどのようにしてそれを抑止するのか。道徳・倫理という回答もあれば、法という回答もあり、そして道具の使用の制限という回答も当然あるだろう。つまり、道具が悪いかどうかという話ではなくて、その道具を使っていかなるリスクとリターンがあるかという話であるべきで、ある道具を使う利便は確実にあるけれど、それに対する危険が看過できないならば、対処すべき問題である、ということだろう。その手段として道具そのものの規制はありうる。話をズラしているようだけれど、そうではなくて、道具を規制しようとする人と道具を擁護しようとする人とには、基的な前提の違いがあるかもしれませんよ、という話。前者は抑止の方法という前提に立ってい

  • 歩行と思索

    独特な絵を見た。日では無名だけれど、国ではそれなりの知名度を誇るらしいデンマークの画家、ヴィルヘルム・ハンマースホイによる絵画作品が、現在、上野の国立西洋美術館にならんでいる。展覧会の解説によれば、北欧の象徴主義を代表する画家とのことで、このたびの展示は、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて活躍した彼の画業を知悉できるものとなっている。 冒頭に「独特」と書いたのは、技法的に特殊なことをやっているという意味ではない。写真をもとにして描いたと想像される作品など、「ちょっと変」と思わせるものもなかには混じっているが、構図にせよ色彩の選択にせよ、とりたてて強調するほどのことはない、ごく普通の絵画といっていいと思う。風景を描いたものであれ、室内を描いたものであれ、「かなり暗い印象を与える絵」という特徴はすぐに感じ取れるが、暗い絵だったら、ほかの画家の描いたものでいくらでも存在する。しかし、ただ暗い

  • http://d.hatena.ne.jp/k11/

    花粉。 Jamie XXのCoachella 2022の、DJなのかLIVEなのか、この人の場合、あまり区別に意味がないのかもしれないけど、ある曲をサンプリングしたオリジナル曲の前に元ネタの曲をかけたりするし、ともかくそのDJなりLIVEなりの模様がmixcloudに上がっていて、聴きながら作業している。 他者とこどもの話をする時に使える、ジェンダーニュートラルな代名詞が、日語にはまだなさそう。とりあえず、名前+さんで良いとは思うけれども、こどもの名前を知らない人へ話をする時には「(わたしの)こどもの名前は○○なんですが、○○さんが〜」という風にしないと、いろいろ省略しすぎな会話の仕方になってしまう。加えて、こどもについて言うときに「うちのこども」「わたしのこども」というのも抵抗がある。とはいえ、「うちの」「わたしの」は省略しても、意味は伝わるけども。 ちょくちょく頭が痛いが、天気痛なの

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    27年ぶりのYUKIライブ 2024/8/11。僕は埼玉の戸田市文化会館で行われた”YUKI concert tour “SUPER SLITS” 2024”に参加した。前にYUKIの歌声を聴いたのは1997/05/27の代々木第一体育館。実に27年の歳月が経ってしまった。 なぜそんなに間が空いたのか。なぜ、それでも参加しようと思ったのか…

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  • 茂木健一郎 クオリア日記

    はっと気づいて外を見ると、もうとっぷりとくれていた。 塩尻の駅に、近づいていた。目的地は、もうすぐだ。 「まつもと〜 まつもと〜」 この声を聞く度に、郷愁を感じる。この地をふるさと呼ぶ人ならば、なおさらのことだろう。 ホームに降り立ち、階段をあがると、こんな夜に、と思うほど多くの人たちがあふれていた。 ゆかたを着た女の子が、髪の毛をつばめの尾のようにきれいに流して、男の子といっしょに歩いている。 幼い兄と、妹と、ちょっと疲れたようなお父さん。 お母さんがこっちよ、と叫んでいる。 歩くのが、少したいへんなくらいだった。 通りすがりの女の子が持っていたうちわに、「松ぼんぼん」の字が見えた。 もともとの「ぼんぼん」は、女の子のための祭りなのだそうである。城下から始まった夏の習慣。 「ぼんぼんとても今日明日ばかり、あさっては山のしおれ草」と言いながら歩く。 タクシーの運転手さんが、目的地がわから

  • 草むら

    土曜日は、ドリフターを熱唱した。 それで、熱唱しながら、 この世にある楽曲の中で、一番ドリフターが好きなんじゃないか、 とか、ちょっと思っていた。 そういうことを思った可能性のある曲は、なんだろうなあ、 オーケンがカバーした、 オザケンの天使たちのシーンとか、ちょっとそうかもしれない。 昨日の夜と今日の朝に、ハイロウズの十四才のことも思った。 ハイロウズ絡み(?)の話だと、 このあいだ、お皿を洗っているときに、いつも歌っているんですけど、 とつぜん、「月光陽光」がやってきて、 「胸の奥でべるがなーる」 と歌い出している。 「月光陽光」が収録されている、アルバム、 タイガーモービルのバンドスコアを持っていて、 各楽曲について、 ハイロウズのメンバーが色々と解説しているのだが、 それが、めちゃくちゃおもしろかったなあ、 ということを思い出して、吹き出してしまい、 「月光陽光」は中断しました。

    草むら
  • 仮想演算としての縞々の馬

    保証書を忘れたので郵便局は断念、明日、ドメイン移管かサーバーのレンタル料とか振込に行く、ついでに行く、眠い、眠い、眠い、仮眠しよう、と図書館でonのDVDの2,3、remixだけを見つつ、もう行き着く先はネタ的空間かメタ的空間しかないから飽きた、というか当は、完全に見失った、コミットする環境を、もう広い空間/区間でのコミュニケーションは終わりで、手紙とかとか手の届く範囲へ向かっていくのだろうな、不足分はサプリメントをとるようにパッケージで満たす、それで充分というか通信とかいらなくなるよこの先、そろそろそんな事では承認されないんだって気付くはず、愚かでなければ、と云う事で一先ずこの日記も凍結、他所でするよ偽名で、もう匿名性しか、希望を想起できないからなね、知りすぎると超越性はなくなる、溶解、溶けてべたべた、パッケージと何か

  • 東浩紀の渦状言論

  • 偽日記@はてなブログ

    ⚫︎連続講座の第一回である前回のマティスとピカソ回は、スライドが200枚ちょっとで三時間くらいだったが、今回は、桂離宮の庭園にかんするスライドだけで250枚くらいになった。 (今のところ、論文「透明性―虚と実」の解説→論文外の具体例の提示→セザンヌの作品の分析→小津安二郎と成瀬巳喜男の特定場面の空間分析と比較→桂離宮庭園回遊について、という流れで――これらすべてに関連がある――スライドが約400枚になっているが、これでも、やろうと考えていることのまだ半分くらい。) とはいえ、桂離宮については、(柄沢さんへの恩返しという意味でも)ちゃんと考えないといけないとずっと思っていたので、この講座を機会にして、その第一歩に手をつけることができた感じ。 (追記。桂離宮は、庭園だけでなく、書院群の建築の外観も超絶的に美しくて、おそらく内部空間も面白いに違いないと思うのだが、一般の人=ぼくでは、中には入れて

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