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ブックマーク / sessai.cocolog-nifty.com (2)

  • 敗戦責任における「礼儀」 - 雪斎の随想録

    ■ 自民党議員は、断固として首班指名選挙で「麻生太郎」と書け。 これが自民党再起の第一歩である。 「麻生太郎と書きたくない…」というのは、所詮、「麻生のせいで厳しい選挙になった…」という議員の私的な感情でしかない。そうした私的な感情で政党の運営が行われてよいはずはない。 萱野権兵衛という人物がいる。 幕末・会津藩の家老だった人物である。 戊辰戦争で敗れた会津藩で、敗戦の責任を一手に引き受けて切腹した。 萱野のことを書いたサイトには、「権兵衛の遺族には松平容保から金五千両が下賜された他、自刃見舞いとして銀二 十枚、喜徳からは銀十枚、照姫から銀二枚を賜わった。この年、松平容大に外桜田門に狭山藩邸を賜わったが、松平家ではその邸の一部をさいて権兵衛の遺族らを住まわせた」 とある。会津藩では、敗戦は全体の責任であり、萱野ひとりを「悪者」にして逃げるようなことはしなかったのである。因みに、テレビ・ドラ

    敗戦責任における「礼儀」 - 雪斎の随想録
  • 「核」に関する備忘録 - 雪斎の随想録

    ■ 日における冷戦研究の古典『冷戦の起源』(永井陽之助著、中央公論社)を再読する。このシリーズには、細谷千博、中嶋峰雄、入江昭、間長世、五百旗頭真といった先生方の著作が並んでいた。 何故、再読しようとしたかといえば、「何故、ハリー・トルーマンが原爆投下を決断したか」ということの考察が記されていたと記憶したからである。久間章生大臣は、何を念頭においていたのかと思ったのである。 この書の記述の中でメモしておくべきものを抜書きにする。「/斜線」以降は雪斎の補足である。 □ ドイツ降伏以前に原爆が完成したら、それがドイツに対して使用されたのは確実であった。 / 「黄色人種」である日人だから狙ったというわけではない。 トルーマンの発言には、人種偏偏見が指摘されるけれども、そう認識しなければ、トルーマンも「精神の平衡」を保てなかったということかもしれない。 □ 原爆投下は、日軍部に「戦争終結の

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    tamaot
    tamaot 2007/07/04
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