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ブックマーク / plaza.rakuten.co.jp/kngti (8)

  • ネット上の「怪人」たち - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2009.03.28 ネット上の「怪人」たち (32) カテゴリ:ネット論 映画やミュージカルでもおなじみのフランスの作家ガストン・ルルーによると、パリのオペラ座の地下には 「怪人」 が棲んでいるそうだが、ネットという仮想空間にも、様々な 「怪人」 が棲んでいる。 だいたいにおいて、この種の 「怪人」 というのは、自分ではブログを持っていないか、あるいは持っていてもたいしたことを書くわけでもなく、他人のところに押しかけては、頼まれてもいないのに批評したり説教したり、また議論を吹っかけたりするのが好きな人たちである。 その特徴はといえば、一番はなんといっても自己評価が異常に高いことである。そのような自己評価の過大さと、そこから垣間見えるきわめて強い自信とがいったいなにに根ざしているのかは、人ではないから分からない。 その中には、いわゆる 「一流大学」 を出たり、高い 「学歴」 を持っている

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    taraxacum_off 2013/12/25
    「ネット上の「怪人」たち」。自分にあまく他人にきびしい人。自己評価が異様に高い。いままで「高く評価していた」人が自分を評価してくれなくなるとわかると、態度豹変してその人を罵倒・酷評する。
  • 「価値観の多様性」 と批判への不寛容 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2008.01.12 「価値観の多様性」 と批判への不寛容 (11) カテゴリ:思想・理論 「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」 という歌が、ほんとうにかの大盗賊 石川五右衛門の辞世の句であるかどうかは分からないが、この句をもじれば、「世に争論の種は尽きまじ」 ということが言える。 たしかに、そのとおりで、人間はいつの時代にもどこの世界でも、言い争いを好むものであり、そのような例は、古今東西、宗教や政治、哲学や思想、学問などの話から、遺産相続や男女の仲の話まで、枚挙に暇がないくらいである。 たとえば、そういった争論が極端に先鋭化すると、ときには言葉のかわりに石ころや拳骨がとびかい、あげくのはてには血の雨が降ったりといったこともある。さすがに、これは困ったものである。そのような経験、とりわけ近世の激しい宗教的対立が悲惨な結果を生んだことの反省から生れたものが、いわゆる 「

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    taraxacum_off 2011/02/07
    カチカンの多様性の濫用。「カチカンの多様性を認めないカチカン」という自己矛盾や、事実認識の誤りをカチカンの相違にすり替える主張など
  • 「美しい魂」を持った人 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2008.05.17 「美しい魂」を持った人 (2) カテゴリ:歴史その他 一昨日は5.15事件66周年の記念日であった。なにか記念の記事でも書こうと思ったのだが、仕事が忙しくてついつい書きそびれてしまった。 5.15事件とは、言うまでもなく右翼思想にかぶれた海軍の青年将校らが、民間から調達した武器で当時の犬養毅首相らを襲撃し、暗殺した事件だが、「話せば分かる」、「問答無用」 という、犬養と襲撃した将校らとのやりとりでも有名である。 ところで、もともと「はてな」のIDを取ったついでに開いた、はてなの別館のほうで、最近こんな箴言めいたものを書いた。 すべての全体主義は 「共感」 を強要する共同体の上に成立している。 他者の名を借りた怒りとは、しばしば最も欺瞞的で不実な 「怒り」 である。 最も残酷になれる人間とは、おのれだけは汚れておらず、 またおのれだけはけっして汚れることがないと確信して

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  • 「~すべし」という命令と「~すべからず」という命令 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2010.05.08 「~すべし」という命令と「~すべからず」という命令 (5) カテゴリ:歴史その他 なんのにあったのか忘れたので、違っているかもしれないが(したがって、実話かどうかは確認できない)、革命から間がない内戦中のある日のこと、当時、チェーカーの議長だったジェルジンスキーが会議中のレーニンに、「反革命」 分子として収監している囚人のリストを渡したという。 会議に没頭していたレーニンはメモに目を通したあと、×印のようなものをつけて、ジェルジンスキーに返した。メモを受け取った彼は、そこにある×印を見て、「処刑」 の指示だと思いこみ、リストにあった全員を即刻銃殺した。 ところが、あとで分かった話によると、実はレーニンには、日頃から目を通した書類にたんなる 「確認済み」 の意味で印をつける癖があったという。もっとも、いずれにしてもレーニンの指令で、多くの人間が 「反革命」 の罪により

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    taraxacum_off 2010/05/10
    「いざ決断を迫られたときに信頼することのできた唯一の人々」「言語によって規範化された道徳というよりも、むしろ生理的な感覚といったものに近い」
  • 大文字の「良心」と小文字の良心 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2010.05.02 大文字の「良心」と小文字の良心 (5) カテゴリ:思想・理論 自動車事故で死んだカミュに、『正義の人々』 という戯曲がある。このもとネタは、革命前のロシアで、社会革命党の秘密組織の指導者として、要人暗殺などのテロを行っていた、サヴィンコフという名のロシア人革命家が書いた、『テロリスト群像』 という回想録の中にある。 サヴィンコフは、ロープシンという名で 『蒼ざめた馬』 などの小説も書いているが、革命後はボルシェビキ政権に対する武力闘争に加わり、最後は逮捕されて裁判にかけられた。そこで、いったんは死刑判決を受けたものの、「十年の禁固刑」 という特赦による減刑を受けたのち、なぜか刑務所で投身自殺をとげたとされている。 この話については以前書いたが、要約すれば、爆弾投擲による暗殺実行の任務を与えられた、カリャーエフという青年が、目標とする人物が乗る馬車に爆弾を投げようとした

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    taraxacum_off 2010/05/03
    外から与えられる大文字の「良心」。内からの自発的な小文字の良心
  • 無敵の人々 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2007.12.03 無敵の人々 (19) カテゴリ:ネット論 タイトルをつけてから、しばし考えた。この言葉は、いったいどこからどのようにして、わが脳髄にいたり来たったのであろうか。 しばしの沈思黙考をへて浮かんだのは、かのドストエフスキーの 『貧しき人々』 と、10数年前になくなったイタリアの作家アルベルト・モラヴィアの処女作 『無関心な人々』 であった。あと、やや長いのであれば、戦前に書かれた葉山嘉樹の 『海に生くる人々』 なんてのもある。ただし、これは名前しか知らない。 ところで、タイトルの 「無敵の人々」 という言葉であるが、これは必ずしも 「負けない」 人たちという意味ではない。おやおや、「無敵」 ということは 「負けない」 ということと同じではないか、という異議がちらほらと聞こえてきそうであるが、とりあえず今はそういうことにしておく。 さて、ウェブ上を毎日のように散歩している方

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  • ポーランド航空機墜落のニュースを聞いて - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2010.04.12 ポーランド航空機墜落のニュースを聞いて (2) カテゴリ:国際 一昨日、ロシアのスモレンスクで行われる予定だった、第二次大戦中に起きた 「カティンの森」 事件の追悼式典に参加するために現地に向かっていた、ポーランドの大統領夫ら、多数の政府要人を乗せた飛行機が墜落し、全員が死亡するという事件があった。情報によれば、深い霧で視界が悪かったため、ロシア側は別の空港への着陸を要請したにもかかわらず、無理に着陸を試みたことが原因のように思われる。 「カティンの森」 事件を世界に公表したのは、第二次大戦勃発から二年後に始まった独ソ戦によって、ソビエト領内への侵攻を開始したナチスの側だが、ドイツのポーランド侵入とほとんど同時に、東からポーランドに攻め入り、ポーランドをナチとともに分割したソビエト軍の捕虜となったポーランド将校らがその犠牲となっている。 長い間、ソビエトはこの事件

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    taraxacum_off 2010/04/14
    ルワンダ虐殺についてもすこし
  • 三月は忙しかった - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2010.04.04 三月は忙しかった (5) カテゴリ:文学その他 昨日今日と天気は回復したが、今年の春はずいぶんと気象の変化が激しかった。初夏なみの暑さになったかと思うと、いきなり冬に逆戻りして、ところによっては雪まで降った。それでも、いったん開花を迎えた桜は、誘爆式の仕掛け花火のように一気に花を咲かせた。名前は知らないが、まだ裸のままの落葉樹からも、天に向かって触手のような細い枝が無数に伸びている。 『春の嵐』 といえばむろんヘッセであるが、ヘッセはどちらかと言えば苦手なので、これは読んでいない。叙情的なのはまだよいが、「芸術」 だの 「精神性」 だのとかを持ち出されると、いよいよかなわない。かわりにといってはなんだが、藤村には 『春』 という長編と、『嵐』 という中編がある。これを二つあわせると、「春の嵐」 となる。 どちらも自伝的作品であるが、『春』 のほうは 『桜の実の熟する時

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    taraxacum_off 2010/04/05
    「個人的体験にいっさいの普遍性はない」という極端な主張をする人がいて、へきえきしたのを思い出した。ずいぶんむかしのことだけど
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