ブックマーク / withnews.jp (12)

  • バントホームランの真相は「燃えプロ」開発者、人生最後のゲーム作り

    ファミリーコンピューターの野球ゲーム「燃えろ!!プロ野球」と開発者の関雅行さん 出典: 「燃えろ!!プロ野球」の画像は関さん提供 ファミコン40年の歴史の中で… 立ちはだかった位置情報の壁 バントでホームラン、バグの訳は… バントがホームランになる――。そんなバグでも話題になった、150万以上を売り上げたファミコンの人気野球ゲーム「燃えプロ」を覚えていますか? そのゲームの開発者が、「人生最後」という新たなサービス作りに挑んでいます。30年を超えるサービス開発の知識と経験をつぎ込み、「燃えプロ」超えを目指すゲームのテーマは……? 「燃えプロ」のバグの真相も明かしてくれました。(朝日新聞デジタル企画報道部・篠健一郎) ファミコン40年の歴史の中で… ファミコン40年の歴史の中では、設定や攻略法が理不尽だったり難解だったりする、いわゆる"クソゲー"もありました。 そんな中でも、ある種のリスペ

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    taro-imo 2024/06/10
  • 「まず正座し庭園を眺めよ」 真の伝統文化とは? 井尻千男さんの志

    「まず正座し庭園を眺めよ」 真の伝統文化とは? 井尻千男さんの志 日の伝統文化の尊重を訴えた、評論家の井尻千男さんが死去しました。伝統文化を身近に感じる工夫を説いた、保守派の論客として活躍しました。 日の伝統文化の尊重を訴える保守派の論客として知られた評論家の井尻千男さんが3日、死去しました。76歳でした。 井尻さんは日経新聞編集委員を経て、拓殖大日文化研究所長などを歴任。週刊誌のコラムニストやテレビ番組のコメンテーターとして精力的に発言してきました。 一方で、郷里の山梨県山梨市に茶室を備えた邸宅を構えて、伝統に根ざす生き方を自ら実践しました。 また、東武鉄道を創立した地元出身の実業家・根津嘉一郎(1860―1940年)の迎賓館を兼ねた私邸を整備して2008年に開館した根津記念館の館長に就任。講演などで明治の偉人を顕彰してきました。 西洋に倣って近代化に邁進した明治の実業家たちがこぞ

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    taro-imo 2024/05/02
  • 正真正銘「明治の和建築」がなぜ千葉トヨペット本社に? 数奇な歴史

    「中は意外と普通」 桜まつりは無念の中止 名門グループの転機 千葉・幕張にほど近い稲毛海岸。巨大な純和風建築が、バイパス沿いの奥まったところに唐突にある。よく見ると自動車のディーラーだった。年季が入った風合いは、レトロ風味のようなフェイクではない。なぜディーラーがこんな形なのか? この謎建物に足を踏み入れて聞いてみた。(北林慎也)

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    taro-imo 2024/02/16
  • 時代と共に進化「信楽焼タヌキ」の意外な姿 バブル感じる土産探して

    タヌキの置物で有名な信楽には、バブルの痕跡は残っているかーー。かつて、バブルから平成初期にかけて、日中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」。懐かしいタッチのイラストが特徴的な商品たちです。「平成文化研究家」の山下メロさんは、時代の流れとともに消えていったこの「文化遺産」の保護を続けています。全国的に売られていたこのお土産ですが、滋賀県ではあまり取り扱われていなかったといいます。そんな空白地帯を調査すると、「信楽焼」やその「タヌキ」が映してきた時代の変化に触れることに。山下メロさんのルポでご紹介します。

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    taro-imo 2023/11/11
  • 応援団長が最後に流した涙「本当の理由」を知ってさらに涙が…

    応援団長は3年生の野球部員 分かっていなかった涙の当の意味 けが続きの自分を支えてくれた友達 甲子園の熱い夏が終わりました。そのグラウンドを見つめ続けた一人の男の涙が、多くの人の心を捉えたことをご存じでしょうか。天理(奈良)の応援団長、木村虎之亮(とらのすけ)君。数十年続くという紫の着物にはかま姿の彼は、伝統に従い、試合中は腕を組んだまま一言も発さず、厳しい表情でグラウンドをにらみ続けました。しかし、そんな彼の頰を最後に伝った一筋の涙。凜とした立ち姿の応援団長が静かに流した涙の裏には、心を動かされる理由があったのです。(朝日新聞スポーツ部・有田憲一) 応援団長は3年生の野球部員 木村君は3年生の野球部員です。しかし、ケガで裏方に回ることが決まり、自ら応援団長になることを志願しました。下級生だった頃に見た、不動の団長の背中が格好良かったからです。 奈良大会期間中は対戦相手の分析係を任され、

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    taro-imo 2023/08/19
  • 悲劇のコンビ、フォークダンスDE成子坂 運命を狂わせた「ボキャ天」

    1994年、『GAHAHAキング』10週勝ち抜きを達成したフォークダンスDE成子坂を伝える雑誌記事。その実力から、当時、多くの雑誌が取り上げた デビュー間もなく認められた才能 『ボキャ天』で感じた“ねじれ” 引き継がれた2人の遺志 2019年11月、元フォークダンスDE成子坂・桶田敬太郎(享年48)が、がんを患って亡くなった。その相方だった村田渚(享年35)は、2006年にくも膜下出血で急逝。コンビともに若くしてあの世へと旅立った。デビュー後間もなく賞レースで結果を出し、業界内外から才能を高く評価されていた。しかし、なぜか彼らはブレークできなかった。そして、まさかの解散……。刹那(せつな)的に生きた伝説のコント師・フォークダンスDE成子坂。その軌跡をたどる。 デビュー間もなく認められた才能 桶田と村田は、中学校の同級生として出会った。ともに小学生の途中で三重へと引っ越してきた転校生組。桶田

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    taro-imo 2023/01/22
  • 元消防官が明かす「すべり棒」のホント 出動シーンは過去のもの?

    私の消防署にもあった「すべり棒」 事務室に鉄扉 気分はスーパーマン 出動まで「1分」! 使うのは…… 時折、見かける交差点を猛スピードで走り抜けていく消防車ですが、中の人たちは、普段、どんな生活をしているのでしょうか? 火災や救急の現場で命と向き合う仕事は、外からうかがい知ることのできないプロフェッショナルな技術と心構えによって成り立っています。そんな消防のトリビアを、元消防官だった記者が経験談を交えて解説します。初回は……つぎつぎに「すべり棒」を伝って車庫に下り立つ、あの有名な出動シーンの「今昔」です。(元消防官の朝日新聞記者・仲程雄平) 私の消防署にもあった「すべり棒」 レスキュー隊員に憧れていた私は、高校を卒業して消防官になりました。2002年に東京消防庁に入庁し、2010年春まで東京都北区の滝野川消防署で勤務しました。 その間に青山学院大学文学部第二部の英米文学科(夜間部、現在は募

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    taro-imo 2022/11/22
  • 満州事変を間近で目撃、101歳の満州国元官吏から届いた手紙

    1931年9月18日、中国東北部の奉天駅近くで、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破される柳条湖事件が起きました。日が泥沼の「15年戦争」に突き進むきっかけとなった満州事変。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日人がいます。満州国総務庁の元官吏先川(さきかわ)祐次さん、101歳。満州事変から90年の今、当時の内実をつづった「手紙」を親交のある朝日新聞の三浦英之記者に寄せました。 記者に届いた満州事変の目撃談 8月30日夜、私の自宅に1通の封書が届いた。 差出人は福岡市西区で暮らす先川祐次さん、年齢101歳。 封を開けると、中には私宛ての手紙と、A4サイズで30枚ほどの「原稿」が収められていた。 冒頭部分を読んで驚いた。 そこには今からちょうど90年前に発生し、日が泥沼の15年戦争に突入していくきっかけとなった満州事変の目撃談が記されていたからだ。 先川さんは1920年、中国の大

    満州事変を間近で目撃、101歳の満州国元官吏から届いた手紙
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    taro-imo 2022/08/02
  • 終戦後に決行された「阿片密輸」計画、結末は 101歳が語る満州国

    1931年9月18日、中国東北部の奉天駅近くで、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破される柳条湖事件が起きた。日が泥沼の「15年戦争」に突き進むきっかけとなった満州事変。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日人がいる。満州国総務庁の元官僚先川祐次さん、101歳。満州事変から90年の今、当時の内実を初めて語る。連載最終回は「満州国と私の人生」。(編集=朝日新聞記者・三浦英之) 和歌山で計画は頓挫 私が戦後に携わった「満蒙同胞援護会」の任務には、機密性の極めて高いものも含まれていた。 これは私が直接担当した事案ではなかったが、同胞援護会の別の部署では、満州国の元参事官が中心となり、戦時中に奉天の倉庫に「軍用物資」として保管されていた大量の阿片(アヘン)を朝鮮半島の仁川港から佐賀県の呼子港へと運び、横浜港から外国へと売却して、その資金を引き揚げ費用などに充てる計画が進められていた。 阿

    終戦後に決行された「阿片密輸」計画、結末は 101歳が語る満州国
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    taro-imo 2022/08/02
  • 「五族協和」の建国大学、外で見た厳しい現実 101歳が語る満州国

    1931年9月18日、中国東北部の奉天駅近くで、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破される柳条湖事件が起きた。日が泥沼の「15年戦争」に突き進むきっかけとなった満州事変。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日人がいる。満州国総務庁の元官僚先川祐次さん、101歳。満州事変から90年の今、当時の内実を初めて語る。連載第9回は「脱走旅行計画」。(編集=朝日新聞記者・三浦英之) 研修として学外へ 建国大学での塾(寮)生活は、たとえ民族が違っても、寝を共にすることで自然と仲間意識が培われることを教えてくれた。主義や主張が違っても、気が合う相手とならば、ざっくばらんに話ができる。 1943年の夏、私は同期の第1期生6人と共に、研修として万里の長城に近い旧熱河省へと派遣された。 我々はどうせ行くならこの機会に研修を抜け出し、長城を越えて北京へ、さら南京を経てシンガポールまで行こうと企てていた

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    taro-imo 2022/08/01
  • 日中戦争のさなか、五民族が共存した建国大学 101歳が語る満州国

    1931年9月18日、中国東北部の奉天駅近くで、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破される柳条湖事件が起きた。日が泥沼の「15年戦争」に突き進むきっかけとなった満州事変。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日人がいる。満州国総務庁の元官僚先川祐次さん、101歳。満州事変から90年の今、当時の内実を初めて語る。連載第6回は「建国大学と石原莞爾」。(編集=朝日新聞記者・三浦英之) 「五族協和」を実現させる大学 満州教育専門学校の付属小学校を卒業後、私は奉天第一中学校(5年制)に入学した。 車に乗り始めたのは中学3年生の14歳の頃だ。当時、父親が満州銀行から自動車会社に転職したため、私も自然と車に詳しくなった。 中学5年生の秋、私は校長に呼び出され、満州国に新しくできる建国大学を受けてみないかと勧められた。 満州国の国是である「五族協和」を実現させるため、日中国、朝鮮、モンゴル、ロ

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    taro-imo 2022/08/01
  • 建国大学に集まった名物教授、毎晩の「座談会」 101歳が語る満州国

    1931年9月18日、中国東北部の奉天駅近くで、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破される柳条湖事件が起きた。日が泥沼の「15年戦争」に突き進むきっかけとなった満州事変。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日人がいる。満州国総務庁の元官僚先川祐次さん、101歳。満州事変から90年の今、当時の内実を初めて語る。連載第7回は「希望と失望」。(編集=朝日新聞記者・三浦英之) 名物教授が集まった建国大学 私が第1期生として入学した建国大学の教授陣には、大学の考案者である石原莞爾少将が提案した通り、当時の学界の名物教授たちが思想や信条に関係なく、広く日国内外から集められていた。 例えば、中国法制史を教えた滝川政次郎教授は後の東京裁判で弁護人を務めた人物だったし、崔南善教授においては、1919年の「3.1独立運動」で独立宣言書を起草するなど、当時の朝鮮を代表する独立運動家の1人だった。 そ

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    taro-imo 2022/08/01
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