ブックマーク / www.tokyo-np.co.jp (4)

  • 141戦してわずか11敗…「選挙の神様」が残りの人生を政界再編に掛ける理由:東京新聞 TOKYO Web

    藤川さんが政治に目覚めたきっかけは、中学3年の時に起きた1969年の東大安田講堂事件だ。大阪市に住んでいて「現場にいないことが悔しかった」。政治や思想、歴史を読みあさった。高校では、天皇制や憲法、日米安保や日歴史観について、友人らによく議論をふっかけながら、「自由主義と共産主義との間で揺れ動いていた」。 東京の大学に進んで政治運動に没頭し、卒業後に23歳で、当時の自民党田中派の代議士秘書になった。政治の世界に飛び込んでみて、「学生時代に熱く議論した安保だ、憲法だ、天皇制だという根的な問題よりも、政治は国家予算の分捕り合いと利益分配が中心だと知ってがくぜんとした」。失望を覚えながら、秘書の仕事や中央・地方の選挙をがむしゃらにこなすうちに、政治家を志すようになる。

    141戦してわずか11敗…「選挙の神様」が残りの人生を政界再編に掛ける理由:東京新聞 TOKYO Web
    taro-imo
    taro-imo 2024/07/07
  • ようこそ!マイホームタウン 川合俊一 × 六本木:東京新聞 TOKYO Web

    長い間、日男子バレーを牽引してきたレジェンドプレイヤー川合俊一さん。当時のスポーツ選手には珍しいお洒落な出で立ちや甘いマスクで、またたく間にお茶の間の人気者に。引退後もスポーツキャスターとして活躍され、バラエティ番組への出演や、日バレーボール協会理事の肩書をもって活動されています。 「どの業界のこと?(笑)。芸能界とビーチバレーのことなら簡単ですよ。 現役時代に広がった交友関係は業界の方が多かったので、当時から出演依頼はいただいていました。ただ、芸能界に興味はなかったのですべて断り続けていたんです。 それが現役を引退して、断りづらくなったというわけ。とはいえ、90年の3月末日で富士フイルムを退社して4月1日からテレビに出演するとなると、なんかタレントに転身するために引退したって思われそうでしょ? だから、ほとぼりが冷めるまでしばらく海外に脱出することにしたんです。 ところが、そこで運命

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    taro-imo 2023/10/09
  • ようこそ!マイホームタウン 庄司智春×蒲田:東京新聞 TOKYO Web

    生まれ育った東京南西部の街 蒲田 今回のゲストは、お笑いタレントの庄司智春さん。お笑いコンビの品川庄司での活躍はもちろん、約1年前に開設したYouTubeチャンネルも話題になっています。庄司さんが生まれ育った街、蒲田でお話をうかがいました。 高校時代いつも駆け抜けていた蒲田の商店街 「久しぶりに来ましたけど、住んでいたころより、きれいになりましたね」 庄司さんが蒲田で生活していたのは、二十代半ばまで。吉興業の養成所で品川祐さんと出会いコンビを組んだ後も、仕事が忙しくなるまでは蒲田の実家に住んでいた。 「生まれも育ちも蒲田です。子供のころは野球少年でしたね。小学校2年生から始めて、小中高と野球ばっかりやっていました。高校生のとき野球部のグラウンドが、目蒲線(※現在は東急目黒線)の鵜の木駅の近くにあって。下級生の間は、練習の前に先に着いてグラウンドの整備をしなきゃいけないんですよ。だから、授

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    taro-imo 2023/08/03
  • 世代超え、胸打つ 日航機墜落35年 河口さん「遺書」:東京新聞 TOKYO Web

    当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」。乗客乗員520人が犠牲となった1985年8月12日の日航機墜落事故で亡くなった河口博次さん=当時(52)=が、機内で手帳に記した「遺書」。事故を直接知らない世代も増えたが、切迫した中で書かれた家族への思いは、今も読む人それぞれに強烈な印象を刻む。「事故が忘れられないように」。遺族は実物を多くの人に見てもらえるよう、日航などへの貸与を検討している。発生35年を機に、長女で立教大特任教授の真理子さん(59)に話を伺った。

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    taro-imo 2023/03/10
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