純正品の半額以下のリサイクルトナーは、価格面では一見すると予算圧縮に貢献すると思えましたが。 自分が出した結論としてはトラブル発生率の向上に対するサポート面の人件費や時間を鑑みると、むしろ失うものが多いようだ。 リサイクルトナーの導入後の問題 うちの職場ではCanon製レーザープリンターを愛用しておりますが、インク代も馬鹿にならないもので。 ある日Lucaさんが代休の日に納入業者が、リサイクルトナーを持ち込みまして(正規品のトナーを注文したはずなのに何故か)。 勝手に開封されてしまったので返品もできず、仕方なく使ったんですよ。 最初のうちは、「あ、いいんじゃないこれ?」って。 トラブルも起きず安価なので、次からはこれで行こうみたいな雰囲気になっちゃいまして。 だって、安いからね。 純正品では5000枚をプリントアウトできてそれで1万数千円でしたが、リサイクルトナーだと大体7000円だし。
「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。もうそこからは何もうまれないのでした。さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。おかしなことだ。さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。考えればなにもかも違うように見えたし、でも本当のところはどこがどう違うのかよくわからない。ただ、自分がさびしさにふりまわされていることだ
この世には自分ひとりしかいないと密かに思っている。そして、それが間違ってると思おうとしてもできない。 「他人」というのがいる、というのが、どこか底のほうで信じ切れてない部分がある。それを訂正するためには、他人というのを信じてからでないと出来ない。そこで思考が閉じる。 自閉症に近いのだとおもう。他人の話しが聞けない。言葉を追って、意味を追って、表情と身振りを読んでいると、それら全部がごちゃごちゃとして来て、痺れるようになってくる。大人になれば直る、と思い込んでいたが、治らない。一度医者に行ってみたが、「友達を作れ」と言われて追い返された。異常ではない、と言われた。 正直、とても怖い。この状態は、ものすごく良くないのではないか、と思っている。他人はちゃんといて、社会がいろいろな力で動いている、それを分かろうとしても、感情で底のほうから分からないと、実感がわかない。いずれ、人生のどこかの時点で、
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