ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (2)

  • マスコミよ - jun-jun1965の日記

    『週刊朝日』の見出しはひどいなあ。「若者に気をつけろ」だって。実は私にも取材申し込みがあったのだが、通り魔無差別殺傷事件のようなものは五年、十年に一度くらい、社会的に不遇な者によって起こされているもので、当人の「彼女ができない」といった言に過剰に意味づけするのは間違いである、マスコミはこういう事件に意味づけしすぎる、と電話で言ったが、どうやら採用されなかったようだ。この手の事件に若者も中年もないのである。調子に乗るのもいい加減にしてほしいものだ。 読売新聞からも同様の取材申し入れがあったので、私はこういう意見だがそれでもよいか、と問うたら、それならほかを当たる、と言ってきた。 ハイエナのようなマスコミよ、どうしても「意味づけ」をしたいのか。内藤朝雄はこういう時こそ激しく怒るべきである。(既に意見表明はしているが)渡部伸などは相変わらずマスコミの思惑どおりのコメントをしてその商売人ぶりを明ら

    マスコミよ - jun-jun1965の日記
    taro-r
    taro-r 2008/06/18
    同感。犯罪に意味をつけたがるメディアが多すぎる。後期高齢者で若者がおいてきぼりだからガス抜きでもしてるのかしら?
  • 死の恐怖 - jun-jun1965の日記

    「死の恐怖」を語る人は多い。宮崎哲弥氏は少年時代、眠ったらそのまま死んでしまうのではないかという恐怖から一週間眠れず、病院に担ぎ込まれたという。ただ宮崎氏は、『中論』を読んでその恐怖を乗り越えたかのように語るが、理屈で越えられるものかどうか、依然として私は疑問だ。 しかし一般に、子供の頃であれば、「自分がいつか死ぬ」ということに恐怖を覚えることもあろうが、大人になって、仮に90歳まで生きられると保証されて、なお恐れる人がどの程度いるであろうか。むろん、90歳まで生きても怖いものは怖いかもしれないが、多くの大人が語る「死の恐怖」というのは、たとえばあと一年で死ぬとかいう「若死にの恐怖」なのではないだろうか。 平安時代から、80まで生きる人というのはいたけれど、昭和30年代以前なら、60歳まで生きたら、まあよしという意識が多かったのではないかと思うし「人生50年」はともかく、60年くらいの計算

    死の恐怖 - jun-jun1965の日記
    taro-r
    taro-r 2008/05/07
    私は病気になって死ぬことを想定したので,平均寿命とは関係なくなんとなく覚悟は出来た。現代日本での死への恐怖は「想定外」故の部分もあると思う。で70以上の人が,死についてちゃんと考えてるのかは不明
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