ノモンハン事件中、日本軍とて手をこまねいていたわけではなく、前の記事で触れたような火炎瓶以外にも戦車対策はいろいろと考えました。 速射砲と呼ばれていた対戦車砲の集中が代表例です。中距離であれば(*1)、当時のソ連軍のあらゆる装甲車両を撃破する威力がありました。本来は1個歩兵連隊に1個中隊(4門)しかないのですが、ハイラル要塞に配備されていたものを抽出して独立速射砲中隊7個(単純計算だと28門)以上を編成し、第23師団に配属しています。事件後半にかけては、満州各地の師団からも速射砲中隊だけが抽出されて投入され、最後は中国戦線まで手を伸ばしてかき集めています。戦車の矢面に立つために損耗も激しく、7月20日までには18門(現地保有数の25%)を破壊されて、いっそ日本本土の速射砲と砲弾を全部送ってくれという悲鳴のような電文が関東軍兵器部から発信されています(関兵電513号)。 やや旧式化した41式