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  • 鋼棺戦史(第3部 悲島戦線・第4章・前編) - 山猫文庫第3版

    第三部 悲島戦線 4 鹵獲兵器たちの戦場 事実上日陸軍の最強MBTとして大活躍したことは知られていない。 ―戦車マガジン1992年4月号別冊『帝国陸海軍の戦闘用車両』― 1941年12月の太平洋戦争開戦時、米領フィリピンには米軍の主要機甲戦力として次の2個戦車大隊を基幹とする臨時戦車集団と戦車駆逐車(対戦車自走砲)装備の臨時野戦砲兵旅団が存在していました。 ・臨時戦車集団(注2) ・・司令部 ・・第192戦車大隊(D中隊欠):M3軽戦車54両 ・・第194戦車大隊(B中隊欠・第192戦車大隊D中隊配属):M3軽戦車54両 ・・第17機甲整備中隊 ・臨時野戦砲兵旅団:T12・M3/75戦車駆逐車(GMC)50両で3個大隊を現地編成(注3) 以上の合計兵力はM3軽戦車108両とT12・M3/75戦車駆逐車50両のほか、M2・M3ハーフトラック装甲兵車46両、珍しいことに英国製のブレンキャリア

  • ノモンハン事件の対戦車兵器あれこれ - 山猫文庫第3版

    ノモンハン事件中、日軍とて手をこまねいていたわけではなく、前の記事で触れたような火炎瓶以外にも戦車対策はいろいろと考えました。 速射砲と呼ばれていた対戦車砲の集中が代表例です。中距離であれば(*1)、当時のソ連軍のあらゆる装甲車両を撃破する威力がありました。来は1個歩兵連隊に1個中隊(4門)しかないのですが、ハイラル要塞に配備されていたものを抽出して独立速射砲中隊7個(単純計算だと28門)以上を編成し、第23師団に配属しています。事件後半にかけては、満州各地の師団からも速射砲中隊だけが抽出されて投入され、最後は中国戦線まで手を伸ばしてかき集めています。戦車の矢面に立つために損耗も激しく、7月20日までには18門(現地保有数の25%)を破壊されて、いっそ日土の速射砲と砲弾を全部送ってくれという悲鳴のような電文が関東軍兵器部から発信されています(関兵電513号)。 やや旧式化した41式

  • 間に合わなかった兵器―もう一つの第二次世界大戦 - 山猫文庫第3版

    徳田八郎衛「間に合わなかった兵器―もう一つの第二次世界大戦」 (光人社NF文庫、2001年) 総合評価:★★★★★ 太平洋戦争において日は兵器の物量だけによって負けたのではない。兵器の質においても、粗末な設計で低品質なものだったのである。日の歩兵には、連合国軍の戦車に対抗できる対戦車砲やロケット弾も無く、兵士たちは爆薬を抱えて肉薄攻撃するしかなかった。土防空網も不完全で、バトル・オブ・ジャパンは実現できなかった。 では、新型の対戦車兵器やレーダーは、どうして「間に合わなかった兵器」となったのか。その背景には、単に工業水準の問題だけではなく、軍関係者の科学技術への無理解、技術者の現場への無関心、計画的でない開発といった失敗要因があったのだ。 枢軸国の兵器開発の失敗事情を、自衛隊で装備開発に携わってきた元一佐が解き明かす。 第1章では日の戦車と対戦車兵器、第2章と第3章では日の電子兵

    taron
    taron 2019/04/01
    メモ。
  • 山猫文庫第3版 - 回転翼の海鳥たち

    1.はじめに 対潜哨戒、強襲揚陸に補給用、空母からフリゲートまで現代大型水上艦の標準装備となった回転翼機一族。 彼らが、海軍の中で現在の地位を占めるまでには、様々な試行錯誤の歴史がありました。その進化の過程には、ヘリコプターはもちろん、忘れられたオートジャイロや、もっと不思議な機体も存在してきたのです。 最近、一族に新種の猛禽が加わろうとしていると聞きました。こうした折に、艦上を舞う奇妙な海鳥の進化史を、たまには少し振り返ってみるのも悪くは無いと思うのです。(第2回へ進む) <年表> 1910年 米軽巡「バーミンガム」より、飛行機発艦実験。 1923年 スペインのフアン・ド・ラ・シエルバが、C.4オートジャイロを実用化。 1931年 米空母「ラングレー」で、XOP-1オートジャイロ発着実験。 1934年 スペイン水上機母艦「デダロ」で、シエルバC.30オートジャイロ発着実験。 1936年 

    taron
    taron 2019/04/01
    オートジャイロ。
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