ブックマーク / suiro.blog27.fc2.com (8)

  • 水路をゆく・第二運河 6月13日のフネブネ…3

    (『6月13日のフネブネ…2』のつづき) ●浜離宮前水面、汐留川水門を入ってすぐ左の水上バス繋留場、Googleマップでは「竹芝地区船着場(ウォーターズ竹芝前)」と表示される船溜ですが、この日は3隻がもやっていました。 そのうち2隻、「海舟」と「ヒミコ」がなかよく舷を接して憩う姿をスナップ。真後ろから見ると扁平さが強調されて、河用客船らしさが際立つ好きな角度です。 ●京浜運河は湾岸署前で、ズラリと並ぶ同型艇に目を引かれて一枚。4隻揃って寸毫の違いも見出せないさま、「マスプロ」という言葉が、脊髄反射で脳裏に思い浮かぶような光景ではあります。 警備艇も既製艇が増えてきましたが、仕様変更の少ないプレジャーの転用、しかも小型とあって用途は限られそう。舷側に表記される固有艇名もなく、「OP4」といったハルナンバーだけなのも、今までの警備艇と違った扱いを感じさせますね。オリンピックの警備などで、臨時に

  • 水路をゆく・第二運河 古賀オール見学記…5

    (『古賀オール見学記…4』のつづき) ●ここまで来たらもうトコトンまで見てやりたいと、わがままついでにさらにお願いして、ホールドの中へと降りてみることに。木甲板を踏みしめて、舷側にズラリと並ぶ肋材や、甲板上に三角棒の輪留めをかって並べられた巻取鋼板を眺めて、船内の雰囲気を堪能。こちらも例に漏れず、清掃が行き届いています。 目の前にある巻取鋼板が10個、仮に1個20tだとしても、200tの重量がこのバージにかかっているわけだ…。これだけの荷を、曳船とバージ、合わせて2人で運べるわけですから、改めて舟運の効率のよさがわかろうというものです。 ●バージの乗り組みさんによれば、最近は運河に浅瀬ができ始めている区間があり、喫水との兼ね合いから、最大積載量より100tほど少なめにしなければならない場合があるとのこと。 お話をうかがっていると、頭上から「始めていいですか?」の声が。見上げると、護岸上の見

  • 水路をゆく・第二運河 関宿再訪…7

    (『関宿再訪…6』のつづき) ●閘室横を戻って、上流側から眺めてみることにしました。閘室近くの法面は、時々手入れをされているようですが、いったん水門のエリアから外れると、とたんに草深くなります。 下の写真は、背割堤の先端部。丸く成形された法面が、その形のとおりの波紋を上流に向かって広げているのが見えます。のどかな眺めですが、もし艇で近づいたら水流にスーッと吸い込まれると思うと、恐ろしい感じもしますね。 ●前回訪問時同様、浚渫船のもやうあたりの法面に下りて、閘門正面から狙ってみることに。後ろに続くのは、浚渫船が水と一緒に吸い込んだ泥を送るパイプで、フロートで浮くように造られています。使用時は何組かを連結して用いるのでしょう。 船尾に二あるスパッドを、おそらく下ろして河底に突き刺しているとはいえ、もやい1ではどうも吸い込まれてしまいそうで、心もとない感じがしますね。増水時などは、どうしてい

  • 水路をゆく・第二運河 関宿水閘門と横利根閘門の写真

    ●水運に関連した古い絵葉書の写真は、当然ながら岸や船上など、低い視点から撮影されたものがほとんどを占めています。 なので、高所から俯瞰したものというだけでも動悸が高まるのですが、加えて被写体が大好物の閘門で、それも昭和初期の撮影、さらに組で航空写真付きとくれば、確実にオフィシャルなものですから、動悸どころかお熱も上がろうというもの。 他にもさまざまな意味で印象深い4枚でしたので、熱の上がるにまかせてあれこれと、暑苦しく…もとい、アツく語ってみたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。 【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】 ●まず1枚目は、「關宿閘門及水堰」と題された、江戸川流頭部にある関宿水閘門(『関宿再訪…1』以下のシリーズ参照)の写真。まだコンクリートの肌も真新しく、水門右手には仮小屋らしいものも見られることから、昭和2年の竣工後、まだ間もないころの撮影とみてよいでしょ

  • 水路をゆく・第二運河 合同汽船・佐陀川航路覚え書き

    (『生きている大運河・佐陀川…9』のつづき) ●今年3月に出雲・佐陀川を訪ねた帰り、松江市立中央図書館に立ち寄って、佐陀川航路や合同汽船について、書かれた文献をいくつかご紹介いただきました。その中から、運河として躍動していた往時を髣髴できそうな部分を、以下に紹介させていただきます。 残念ながら、佐陀川を走る汽船の写真は見つけることができず、松江は大橋川を写した絵葉書が中心となりましたが、内水航路華やかなりし時代の雲伯地域、そして佐陀川を走っていたであろうフネブネをイメージできればと、6枚を選んでみました。 【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】 ●「(松江)松江大橋」 宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。 明治44年に竣工した16代目の松江大橋と、八軒屋町の汽船ターミナルを、北岸から写したもの。松江絵葉書ミュージアムの「松江の橋」によれば、北詰に5階建てのビルがあり、そ

  • 水路をゆく・第二運河 上川丸の絵葉書が!

    ●河川舟運近代化の尖兵として、国内に川蒸気船があまたあった中で、唯一レプリカが製作・展示されている北海道は江別の「上川丸」。 多数の川蒸気が就航していた利根川・淀川水系ならともかく、石狩川流域のそれはほんの数隻。確率からいっても、絵葉書があることすら期待できまい、と思っていました。ところが‥‥。 【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】 ●上川丸についてはすでに、過去ログ「上川丸に会いにゆく…1」、「上川丸に会いにゆく…2」、「上川丸に会いにゆく…3」、「上川丸に会いにゆく…4」に訪問記をアップしてあります。 訪ねたのは平成18年9月30日、実に13年前になりますが、北海道のこととてすでに秋風が吹き少々肌寒い中、駅から決して近くない江別河川防災ステーションに徒歩で向かい、上川丸をこの目で見たたときの感動は、今でもありありと思い出されます。 「河川防災ステーション」を名乗りながら、その

  • 水路をゆく・第二運河 川蒸気船の玩具

    ●明治も二桁に入ると、各地の河川や湖沼で就航が相次いだ川蒸気のこと、その姿に親しみ、憧れた人々も少なからぬ数に上ったことでしょう。 となれば、絵や写真ばかりでなく、ミニチュアにあつらえて手元に留めておきたい、という欲求が必ず出てきたでしょうし、人気にあやかって商品化しようという動きもあったはずです。 もともと模型好きということも手伝ってそう確信し、川蒸気を題材にした玩具のたぐいを探していたところ、ありがたいことにご縁に恵まれて、この十年でほんのいくつかですが、手にして愛でることができるようになりました。 【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】 ●まずは焼物玩具からまいりましょう。 左奥の大きい方が長さ170㎜、右手前の小さい方が58㎜です。 大きい方は、初期の鉄道を描いた錦絵を思わせる、和風テイスト濃厚なアレンジで、独特の魅力があります。船体を見ると、「下がり」のある船首、舵柄の露

    taron
    taron 2020/05/11
    川蒸気の玩具。立版古は、厚紙に印刷したら組み立てられそう。
  • 水路をゆく・第二運河 外輪曳船のこと

    ●外輪蒸気曳船の絵葉書を2枚、ご覧に入れます。同じ川や湖沼を活躍の場とした蒸気船とはいえ、華のある通運丸や銚子丸にくらべて人目につきづらかったせいか、写真・資料とも数が少ないようで、なかなかご縁に恵まれていません。 近代に入ってからも、河川舟運による関東近県から東京への移入量は莫大なものがあり、それを担ったのは高瀬舟ほかの荷舟群と、彼らを曳いてスピードアップに貢献した蒸気曳船こそ、川の物流の主役であったはずです。 曳船というと港内で活躍した大型のそれや、一銭蒸気に代表される客用艀を曳くもののように、暗車(スクリュー)船がまず思い浮かぶ中、カサ高な外輪を備えた「川の曳船」が少なからず存在していたことに、川蒸気好きとしては興味が注がれるのであります。 ●(渡良瀬川改修工事)古河地先新川浚渫工事(曳船土運搬) 宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。 ●ほんの小さく写った、し

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