日中戦争がいつ果てるともなく続いていた1941(昭和16)年7月18日の長野県の地方紙「信濃毎日新聞」の学芸欄に「村のたより 臭い話」という、長野県小県郡からの投稿が掲載されました。し尿汲み取りに精を出していた農家の話題をユーモラスに描き出しつつ、日中戦争で農家の仕事の様子や集めるし尿の中身まで変化してきた様子が伝わる貴重な記録にもなっています。また、女性が生理で使う綿も再利用されていた現実も見せてくれます。 以下に、著作権切れを利用して転載します。読みにくい漢字やかなは適宜あらためたほか、あまりにもちょっとという部分など、一部割愛しました。なかなか伝わりにくい戦時下の品不足の農村の姿の、ちょっとした記録として気楽に、ごはん時を避けて読んでいただければうれしいです。写真は戦時中に発行された「信濃の子供 上巻」より、安曇野の田植えです。 「村のたより 臭い話」東町唄 松五郎が田を買った。坪3
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