芝生には雑草が侵入し、もはや草地…。 どこから飛んできたのか、ルピナスが草地に芽を出した。 なんていうか、プライベートとパブリック、もしくは「個」と「外」、そいう対立する概念を念頭に置いたとき、わたしにとっての「個」とは、この草地だなあ、と思うわけ。 わたしというプライベートな個は、芝生だったんだけど、外部と接触する内に、影響、侵食され、あるいは、融合が進み、別のものになっていく。 ところが、映画を見ていて思ったんだけど、外国人にとっての「個」ってのは、たぶん、もっと絶対的で強固なんじゃないかなあ、って。 つまり、彼らにとって(映画作品が念頭にあります)、外部との接触は、コンフリクト…葛藤、争いなのであって、感覚が違うのではないかなあ、と。 いや、別に、わたしの個がよわっちいとかいっているのじゃなくて、個ってもののイメージが曖昧で境界線も曖昧なのかなあ、ってことなの。 もし、外国の引きこも
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