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宅八郎に関するtaskapremiumのブックマーク (3)

  • 浜松南高校 16期生 同窓会ブログ:宅八郎

    同窓会懇親会「波濤に集う」の記念会誌が完成いたしました 当日来られる方、楽しみにしていてくださいね この記念会誌には同級生の矢野守啓さん(宅八郎さん)が取材協力してくださいました 誌面にはスペースの都合上一部しか掲載出来なかったため、全文ママ、ブログにて紹介させて頂きます。 矢野君の南高時代の奮闘ぶりから近況までがよくわかるようです♪ ありがとう矢野君 益々のご活躍を16期生みんなで応援しています。 アンケートより 1.高校時代のエピソード ボクはこの20年ほど「オタク評論家」という肩書きのもとに「宅八郎」というペンネームで仕事をしています。まさに「オタク第一世代」と言えるのがボクたちの世代です。例を少し挙げてみます。 オタクというキーワードがクローズアップされたのは1989年のことですが、それは最もマイナスの形で社会に認知されました。連続幼女誘拐殺害事件の犯人・宮崎勤(死刑執行)が、19

    taskapremium
    taskapremium 2021/01/28
    朝鮮語を学習して、1995年春、ピョンヤンに行ってしまったのです。もちろん日本と北朝鮮は国交がありませんから、直行便はなく、中国・北京経由でした。21世紀に入ってからもですが、何回か北朝鮮は取材で行っていま>
  • 急逝した「おたく評論家」宅八郎さんの実弟が明かす兄の知られざる素の姿、晩年の様子

    「おたく評論家」宅八郎さん(名:矢野守啓さん)が8月11日に亡くなっていたことが、12月4日に明らかになり驚いたファンも多かった。ENCOUNT編集部では実弟の雄康(たけやす)さんに緊急取材。お兄さんの思い出や知られざる素顔を語ってもらった。 「おたく評論家」宅八郎さん(名:矢野守啓さん)が8月11日に亡くなっていたことが、12月4日に明らかになり驚いたファンも多かった。ENCOUNT編集部では実弟の雄康(たけやす)さんに緊急取材。お兄さんの思い出や知られざる素顔を語ってもらった。 兄が亡くなってから4か月近くたってみなさんにお知らせしたのは、家族としては兄が最後にテレビなどに出ていた頃からもう10年以上たつし、お騒がせもいろいろしたので、亡くなったことをお知らせしたら、また兄のことを悪く書かれるんじゃないか、とか、そもそもお知らせするほどのことなのか、分からなかったからです。 でも、

    急逝した「おたく評論家」宅八郎さんの実弟が明かす兄の知られざる素の姿、晩年の様子
    taskapremium
    taskapremium 2020/12/06
    兄はテレビではオタクを演じていたんですよ。「オタクっていったい、何ものなんだ?」という時代に、それを演じて見せていたのだと思います。歌手・森高千里さんのファンというのも、本当のところではなかったと思>
  • さらば宅八郎 - Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)

    2020年12月3日 宅八郎の訃報を知った。ご家族の話ではどうやら8月に脳出血で倒れ、そのまま還らぬ人となったらしい。 彼はミニコミ『東京おとなクラブ』のスタッフだった人で、名を矢野守啓という。ぼくは同時期に刊行されていた歌謡曲ミニコミ『よい子の歌謡曲』のスタッフだった関係で、『東京おとなクラブ』の編集部にも出入りしていた。時期を考えると彼と知り合ったのは1985年くらいのはずだが、直接会って話をしたような記憶はない。 やがてぼくはフリーライターになって、下北沢に仕事場用のアパートを借りた。ある日、仕事もなく部屋でゴロゴロしていたら、彼から電話がかかってきた。そのとき彼は「覚えてますか、矢野です」と言い、ぼくは少し考えたのち「ああ、おとなクラブの!」と言った記憶がある。ということはやはり一度は会っているのだろう。 電話の要件は仕事の依頼だった。その頃の彼は『週刊SPA!』で仕事をしていて

    さらば宅八郎 - Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)
    taskapremium
    taskapremium 2020/12/05
    週刊ポストのデスクを追い詰めたり、いつも取材する側を実名報道してたのは凄まじい手法だった。
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