預言者ムハンマドの時代はアラビア半島のみがイスラーム勢力の範囲内であったが、正統カリフ時代にはシリア・エジプト・ペルシャが、ウマイヤ朝時代には東はトランスオクシアナ、西はモロッコ・イベリア半島が勢力下に入った。 656年、ムアーウィヤと同じウマイヤ家の長老であった第3代カリフ・ウスマーンが、イスラームの理念を政治に反映させることなどを求めた若者の一団によってマディーナの私邸で殺害された[3]。ウスマーンの死去を受け、マディーナの古参ムスリムらに推されたアリーが第4代カリフとなったが、これにムハンマドの妻であったアーイシャなどがイラクのバスラを拠点としてアリーに反旗を翻し、第一次内乱(英語版)が起こった[3][4]。両者の抗争は656年12月のラクダの戦いにおいて頂点に達し、アリーが勝利を収めた[4]。その後クーファに居を定めたアリーはムアーウィヤに対して忠誠の誓いを求める書簡を送ったが、ム