忠清道牙山郡に兵曹判書を務めた尹雄烈を父、全州李氏のイ・ジョンムを母として生まれた。宣祖時代の領議政尹斗寿の次男尹昕の8代目の孫にあたる。 幼年期の尹致昊は張先生と金正言先生から儒教を学んだ。しかし、父の尹雄烈が妾子であったので科挙を受けることができなかった。1879年に15歳で漢城府貞洞出身の晋州姜氏の夫人と結婚した。 開化派の父などの影響もあり、1881年に17歳で紳士遊覧団(朝士視察団)だった魚允中の随行員として日本に渡り、朝鮮初の日本留学生の一人として開化思想を吸収した。外務大臣の井上馨と謁見し、井上の斡旋で同人社に入学した。独学で日本語を勉強した後、1882年に東京帝国大学哲学教授の夫人ミレットや英語講師の神田乃武、1883年1月から横浜にあるオランダ領事館の書記官レオン・ポルデルから英語を学んだ。留学生活の中で金玉均、徐光範、朴泳孝、兪吉濬などの開化派の人物や福沢諭吉、中村正直