奇跡が起きた二審判決そのとき、選手会事務局のメンバーは大きな落胆を禁じえなかった。2004年9月3日のことだった。この一週間前に古田敦也選手会長(当時)は、オリックスと近鉄の球団合併を止める仮処分申請を東京地裁に出していた。 同年6月に突然、持ち上がって来た合併問題は、ここに至るまで選手たちを蚊帳の外に置いたまま押し進められていた。球団が減れば、約70人の選手たちが仕事を失くすことになるが、すでにNPBとオーナー側の決定によって将来的に1リーグ8チームという構想への道筋が一方的に敷かれつつあった。 選手会側は何度も団体交渉を求め、古田会長も新聞に投稿(「我々は対話を求めている」8月26日付朝日新聞)するなど、働きかけを続けてきたが、選手会を労働組合として認めようとしないNPBは一切呼びかけに応じず、8月27日に近鉄とオリックスは合併契約書に正式調印する。 これを差し戻すために古田会長は野球

