タグ

booksと竹宮惠子に関するtaskapremiumのブックマーク (3)

  • 【増山法恵インタビュー】 - 【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】 資料まとめサイト

    【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】 資料まとめサイト 5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト トップページページ一覧メンバー編集 【増山法恵インタビュー】 最終更新: mototemplate 2021年09月25日(土) 15:40:28履歴 Tweet このページは以下の3にまとめました 【ケーコタンはベムですね:増山のりえ(ぱふ1982年8-9号)】1982年08月(32歳) 【増山法恵インタビュー:Spectator 22】2010年07月01日(60歳) 【大泉サロン:徳山大学論叢第78号】2014年06月

    【増山法恵インタビュー】 - 【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】 資料まとめサイト
  • 山崎まどかの『一度きりの大泉の話』評:萩尾望都が竹宮惠子に向けていた眼差しとその痛み(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース

    1970年から1972年まで竹宮惠子と萩尾望都が同居し、そこに同世代の少女マンガ家「花の24年組」を中心とするメンバーが出入りして「大泉サロン」と呼ばれた借家。それは少年マンガにおける「トキワ荘」と並ぶ、少女マンガ文化におけるひとつの伝説だった。 【画像】『トーマの心臓』カバー画像 ■萩尾望都の側から見た残酷な事実 竹宮惠子が自伝『少年の名はジルベール』(小学館/2016)で「大泉サロン」時代の話を書くと、この伝説には新たなベクトルが加わり、より神話性が強まっていった。接近し過ぎた若い創作者同士の思わぬ齟齬。竹宮惠子はそれを天才・萩尾望都への自分の一方的な嫉妬として描いている。 萩尾望都の語り下ろしである『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)は『少年の名はジルベール』そのものというよりも、竹宮のに対する反響で自分が被ったことへの返答として書かれている。これは単体で読む彼女の自伝というより

    山崎まどかの『一度きりの大泉の話』評:萩尾望都が竹宮惠子に向けていた眼差しとその痛み(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース
    taskapremium
    taskapremium 2021/07/16
     竹宮惠子の物語の側ではただ、彼女が「(萩尾望都と)距離を置きたい」と相手に言っただけになっていることの、萩尾望都の側から見た事実は残酷だ。それが彼女の創作物の成り立ちへの疑問と非難となっているのな>
  • 少年愛を描いた『風と木の詩』の裏にあった、竹宮惠子と萩尾望都の短くも濃い友愛

    ――屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン(サイ女)読者の棚に入れたい書籍・コミックを紹介します! ■『少年の名はジルベール』(竹宮惠子、小学館) 理想の少年像はネクタイかリボンか、半ズボンか長ズボンか。萌える関係性は「友情に毛が生えた程度」か、「愛情にちょっとだけ踏み込んでいる程度」か――。 1970年代、まだ世の中に“腐女子”や“BL(ボーイズラブ)”という言葉はない時代に、そんな会話で熱く盛り上がっていた女性たちがいた。 『少年の名はジルベール』は、高校生で漫画家デビューした竹宮惠子が、20歳で上京してからの約6年間を振り返った自伝。萩尾望都らと同居した日々や、多くの漫画家や編集者と出会い刺激を受け、いったんは編集者に反対されつつも、スランプを超えて代表作『風と木の詩』が「週刊少女コミック」に連載されるまでが描かれている。 まだ「少女漫画の主人公は素直でかわいい少女」である

    少年愛を描いた『風と木の詩』の裏にあった、竹宮惠子と萩尾望都の短くも濃い友愛
    taskapremium
    taskapremium 2021/07/03
    以前と変わらず親しみをもって、新しい仕事場の近くに越してきた萩尾に、はっきりと「距離を置きたい」と告げざるを得ないほど心身が参っていたことを、淡々と抑制された筆致で振り返る。>
  • 1