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historyとtrainに関するtaskapremiumのブックマーク (9)

  • 幻の甲子園口駅、阪神電鉄が計画 太平洋戦争末期 大学教授が“発掘”

    丸山健夫教授が国立公文書館で入手した阪神電鉄甲子園口駅の設計図。上が南になる。中央左に「乗降場」の文字があり、上下に走る太い白線は線路。右側に省線の「甲子園口駅」の文字も見える(同教授提供) 太平洋戦争末期、省線(現JR)甲子園口駅(兵庫県西宮市)の乗換駅として、阪神電鉄が隣接地に「甲子園口駅(停留場)」を建設する計画があったことが、武庫川女子大学(同市)の丸山健夫教授(65)の調査で明らかになった。主に軍需工場に人を運ぶ目的で着工もされたが、未完のまま終戦を迎えたとみられる。新駅の計画は同社に資料がなく、社史にも記載されないまま歴史に埋もれていたが、当時の国への提出資料から“発掘”された。駅の設計図なども見つかっている。(伊丹昭史) JR甲子園口駅南東の線路沿いに、2階建てのように見える駐輪場がある。だが下半分は土台だけで、駐輪スペースは階段などを上がった上段のみだ。丸山教授によると、こ

    幻の甲子園口駅、阪神電鉄が計画 太平洋戦争末期 大学教授が“発掘”
  • 幻になった「京阪電車の梅田行き」 いまなお残るその痕跡(写真11枚) | 乗りものニュース

    関西大手私鉄の多くは「キタ(梅田)」か「ミナミ(難波)」の繁華街にターミナルを設けていますが、京阪電鉄はどちらにも乗り入れていません。しかし、かつては梅田への乗り入れ計画があり、その痕跡が意外な場所に残っています。 現在の京阪線から1km以上離れた場所 大阪市の中心部を一周する、JR西日大阪環状線。その桜ノ宮~京橋間に「京阪電鉄乗越橋」があります。 拡大画像 梅田にも難波にも乗り入れていない京阪電鉄だが、かつては梅田に乗り入れる計画があった(2017年5月、恵 知仁撮影)。 しかし、京阪電鉄の線路はここから約1.3kmも離れたところにあります。過去に京阪電鉄が運営していた廃止路線が、ここをくぐっていたという事実もありません。にもかかわらず、なぜJR線の橋りょうが「京阪電鉄」を名乗っているのでしょうか。 京阪電鉄はかつて、「キタ」こと大阪の梅田に乗り入れようとしていたことがありました。こ

    幻になった「京阪電車の梅田行き」 いまなお残るその痕跡(写真11枚) | 乗りものニュース
    taskapremium
    taskapremium 2018/12/22
    中之島線に何千億と突っ込むんだったら京橋あたりから阪神の梅田へ繋げばよかったよ。山陽姫路、阪神梅田、京阪出町柳と姫路から京都まで線路がつながったのに。
  • 早川徳次 (東京地下鉄道) - Wikipedia

    早川 徳次(はやかわ のりつぐ、1881年〈明治14年〉10月15日 - 1942年〈昭和17年〉11月29日)は、戦前日の実業家。東京地下鉄道(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)の創立者で、日に地下鉄を紹介・導入したことから、「(日の)地下鉄の父」と呼ばれる。 略歴[編集] 出生から上京・鉄道経営への参加[編集] 山梨県東八代郡御代咲村(現在の笛吹市一宮町東新居)に生まれる。父の常富は御代咲村長を務めた人物で三女四男をもうけ、徳次はその末子である。母「ゑひ(栄)」は徳次出生の翌年に死去している。長兄の富平は山梨県会議員を務めた人物で、笛吹川廃河川を開拓したことで知られる小松導平も兄にあたる。 旧制甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を経て第六高等学校(現在の岡山大学)に入学するも、2年の時に病気になり中退を余儀なくされた。その後、上京して早稲田大学に入学する。父や兄と同じよ

    早川徳次 (東京地下鉄道) - Wikipedia
    taskapremium
    taskapremium 2017/06/10
    銀座駅の日比谷線中2階メトロプロムナードの中央部に早川の胸像がある。同じ胸像が地下鉄博物館にもある。 早川徳次は自分の娘に「いつかきっと、東京中がクモの巣のように地下鉄で張り巡らされる日が来るだろう」>
  • 北陸新幹線長野金沢1時間に要した18年の歳月 - 植草一秀の『知られざる真実』

  • 東京新聞:懐かしの南総鉄道 元沿線住民が振り返る:千葉(TOKYO Web)

    昭和初期、現在の茂原市から長南町を経て、市原市に至る一二・二キロを一の鉄道路線が結んでいた。わずか八年半で営業運転を終えた「南総鉄道」。往時を知る人は少なくなったが、沿線の元住民は目の当たりにした駅舎のたたずまいや車両の姿を懐かしむ。 (堀場達) 「社が生家の近所の笠森寺駅にありましてね。社屋二階では弁士付きの映画を上映することも。ええ、無声映画です」。幼少時をこう振り返るのは、長南町出身の今井佳之さん(88)=船橋市在住。 駅名にもなった笠森寺は、坂東三十三カ所霊場の三十一番札所として知られ、古来、遠方から巡礼たちが足を運んだ。多くの乗降客を当て込み、社を置く拠点駅として整備されたらしく、茂原市教育委員会がまとめた「南総鉄道の歴史」には、映画上映のほか「学生の書道や絵画の展示も行った」とある。

    東京新聞:懐かしの南総鉄道 元沿線住民が振り返る:千葉(TOKYO Web)
  • ブルートレイン (日本) - Wikipedia

    におけるブルートレイン(英語: Blue Train)は、かつて日国有鉄道(国鉄)およびその後身のJRグループによって運行されていた、客車を使用した寝台列車を指す愛称である。ただし、これは「列車愛称」とは異なり、運行する車輛の色が青であったことを由来とする包括的な列車の通称である。ブルトレとも略称される。 一般には、国鉄時代の1958年(昭和33年)に登場した20系客車(以後「20系」と略す)以降の、青い車体色[注釈 1]で特徴付けられた固定編成専用寝台客車を使用した特急列車を指す。その創始は、同年10月1日のダイヤ改正で車両が旧形のものから20系に置き換えられた「あさかぜ」である。老朽化や新幹線・飛行機、高速バス、ビジネスホテルの普及による需要の低下でコストを賄えない採算性の悪化で続々廃止になり、2015年(平成27年)をもってブルートレインは全廃となった[1]。 「あさかぜ」以降

    ブルートレイン (日本) - Wikipedia
    taskapremium
    taskapremium 2013/12/20
    日本におけるブルートレイン(英語表記:Blue Train)は、客車を使用した寝台列車を指す愛称である(ただし、「あさかぜ」などといった「列車愛称」とは異なる、包括的な列車の愛称)。>
  • 田園都市線のルーツは高速道路 東急、幻の計画 - 日本経済新聞

    渋谷、二子玉川、たまプラーザなど、東京都南西部から神奈川県北部を走り抜ける東急田園都市線。沿線には人気住宅地が広がり、首都圏でも屈指の混雑路線となっている。この田園都市線、ルーツをたどっていくと、もとは道路計画だったという。「多摩田園都市」の秘めた歴史を探った。渋谷から江ノ島までの高速道路計画駅のホームから階段を上って改札階に出ると、吹き抜けの大空間が頭上に広がる。横浜市青葉区にある東急田園

    田園都市線のルーツは高速道路 東急、幻の計画 - 日本経済新聞
  • Los objetos centenarios y de culto que desaparecerán con el cierre de la Línea A

  • 姫路モノレールで45年前にトリップする

    姫路市営モノレールは、姫路駅、大将軍駅、手柄山駅のたった2区間を走っていたモノレールである。1966年に手柄山公園で開催された「姫路大博覧会」のための輸送機関として開業、wikipediaによれば当初は鳥取まで(!)の壮大な延伸計画もあったようだが、博覧会後に利用者が激減、モノレール事業を推進してきた市長の交代や、車両を作っていた日ロッキード・モノレール社の解散などもあり1979年には多大な赤字を残して正式廃業してしまった。そんなわけで、現在これらの橋脚のすべてがいつ撤去されてもおかしくない状態にある。 という話をきいて、私が想像していたのは、ただひっそりと物陰に佇むコンクリート柱の姿だった。ところが現地へきてみれば、この橋脚、ただの廃線橋脚じゃない。建物からはえてみたり突っ込んだり、なんだかやりたい放題だ。

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