19世紀(明治時代)にソマリ世界を訪れた最も著名な人物である、詩人のアルチュール・ランボー。彼の生涯は謎に満ちているが、最大の謎はそれまで狂ったように放浪を繰り返していた元詩人が、なぜソマリ世界の周縁(具体的には現イエメンのアデンと同エチオピアのハラル)にたどりついてから、動きをピタリと止めてしまったのかということだろう。 ヨーロッパから回ってきて、アデンに腰を落ち着けたというのはわかる。 ランボー研究者の鈴村和成先生も『書簡で読むアフリカのランボー』(以下、『アフリカのランボー』で「海に開かれ、沙漠に通じる、酷暑のイスラム都市ということが、 寒さと農耕と定住生活とキリスト教をことのほか毛嫌いしたランボーのノマド的な気質に合っていた」と説明している。 だが、それ以後はほとんど動いていない。ソマリランドやジブチ経由でエチオピアのハラルへ行き来するのみ。一度、アビシニア(現在エチオピアの首都で
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