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貧困と教育に関するtatatayouのブックマーク (2)

  • DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ - はてなの鴨澤

    親子間での扶養や援助の問題がいろいろ話題に登るようになった。伝統的な日の価値観ではどうこう、と言われているが、基的に「忠孝」というやつは弱者を保護せず、自由を増やさず、不幸を防止しない。 親子の絆は美しいが、親子をあまり強く関連付けないほうがいい。これは社会システム的にもそうだし、個人の意識としてもそうだ。個人を単位に考えたほうがずっと良い。 不幸の多くは人間関係、特に親子を引き離せないからこそ起きる。一番大きいと思うのが教育の問題だ。 99年に交通事故で3ヶ月近く入院したことがある。整形外科病棟というのは交通事故とヘルニアと老人が三大勢力で、交通事故はバイクが大部分。このため他の病棟に比べ平均年齢が低く、雰囲気も明るめだ。オレはそこで長期入院中の高校生に九九を教えたことをきっかけに、そういう家庭の教育問題を考え始めた。そして信じられないほどたくさんの家庭が、「知」というものとまったく

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  • 絶望と格差

    S市は大きな都市で、周辺から人口を収奪しながら今も大きくなっています。その中心部が私の生まれ故郷で、小学3年生の秋に、私の一家は郊外のH町に移りました。私の父は、そこそこ社会的に成功した人で、広い庭が欲しかったらしく、彼の希望に合致する約600坪というまとまった土地がたまたまH町で購入できたので、私もH町を第二の故郷にすることになりました。 H町は旧炭鉱地で、私たちが越した頃から急速にベッドタウンとしての開発が進みましたが、私がH町民になった頃はまだ開発が格化する直前で、住民は貧しい人がたくさんいました。私が大学生になって、東京に出ていく頃には、町の人口は私が来た時の3倍になっていて、今ではH町の一部の地域は高級住宅地として知られています。 引っ越した頃、私は「お高くとまっている」と言われて軽いいじめをうけました。でもそこで、正面からぶつかっていったのでかえって仲良くなって、みんなに溶け

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