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ブックマーク / blog.tatsuru.com (8)

  • 2015年の年頭予言 (内田樹の研究室)

    あけましておめでとうございます。 年末には「十大ニュース」、年頭には「今年の予測」をすることにしている(ような気がする)。ときどき忘れているかもしれないが、今年はやります。 今年の日はどうなるのか。 「いいこと」はたぶん何も起こらない。 「悪いこと」はたくさん起こる。 だから、私たちが願うべきは、「悪いこと」がもたらす災禍を最少化することである。 平田オリザさんから大晦日に届いたメールにこう書いてあった。 「私は大学の卒業生たちには、『日は滅びつつあるが、今回の滅びに関しては、できる限り他国に迷惑をかけずに滅んで欲しい』と毎年伝えています。来年一年が、少しでも豊かな後退戦になるように祈るばかりです。」 これから私たちが長期にわたる後退戦を戦うことになるという見通しを私は平田さんはじめ多くの友人たちと共有している。 私たちの国はいま「滅びる」方向に向かっている。 国が滅びることまでは望ん

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    tboffice 2015/01/03
  • 人間はどうして労働するのか - 内田樹の研究室

    『日の論点2010』(文藝春秋)が届いた。 そこに「労働について」一文を寄せている。 こんなことを書いた。 「働くとはどういうことか」 編集部から「働くとはどういうことか」というお題を頂いた。この問いがトピックとなりうるという事実から私たちはさしあたり次の二つのことを推論することができる。 (1)「働くことはどういうことか」の定義について、現在のところ一義的な定義が存在しない(あるいは定義についての国民的合意が存在しない)。 (2)そのことが「うまく働けない」若い人たちが存在することの一因だと思われている。 だが、「働くとはどういうことか」についての一義的な定義や国民的合意が存在しないことを私は特に困ったことだと思っていない。その理路を述べたいと思う。 人間だけが労働する。動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。ライオンはお腹が

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    tboffice 2013/08/18
  • 四月になれば私は・・・ - 内田樹の研究室

    そうなるのではないかと思っていたが、最終講義とパーティーが終わったとたんに脱力して、ぐーすか寝続けている。 まだ礼拝もあるし、授業もあるし、もちろん会議もあるし、入試業務も合否判定もレポートの採点も卒業判定も卒業式も謝恩会もあるのだが、なんだか「もうだいたい終わった」感がじくじくと身体の芯からにじみ出してきて、「わし、もうどーでもえーけんね」状態になりつつある。 たぶん四月になって、もう全部終わった・・・と思ったとたんにばたりと倒れて一週間くらいベッドから起き上がれないということになるのではないかと思う。 『あしたのジョー』と同じで、ゴールめざして走っている間はパンチ・ドランカー症候群は発症しないのである。 そういうことが過去20年間に2回あった。 最初は93年の春、次は96年の秋。 93年の春は、離婚して、小さな娘の手を引いて神戸に移ってきて、見知らぬ街で、新しい職場に適応するために必死

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    tboffice 2011/02/12
    楽しそう
  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

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    tboffice 2011/02/12
  • 才能の枯渇について - 内田樹の研究室

    クリエイティヴ・ライティングの今年最後の授業で、「才能」について考える。 天賦の才能というものがある。 自己努力の成果として獲得した知識や技術とは違う、「なんだか知らないけれど、できちゃうこと」が人間にはある。 「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。 外部からの贈り物である。 私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。 才能は「贈り物」である。 外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。 それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。 どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。 私はそのように考えている。 才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。 私がこれまで見聞きしてきた限りのこ

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    tboffice 2010/12/26
    『贈与論』でモースが書いているとおり、贈り物がもたらした利得を退蔵すると「何か悪いことが起こり、死ぬ」のである。
  • 日本の人事システムについて - 内田樹の研究室

    ツイッターで茂木さんが就職活動について書いている。 多くの点で、私も同意見である。 けれども、完全には同意できないところもある。 意見が違うというのではなく、話を「切り出す順番」が違うということなのかも知れない。 それについて考えてみたい。 茂木さんはこう書いている。 「大卒2割、就職も進学もせずという今朝のニュース(http://bit.ly/9IP2QS )に思うところあり、日の就職について連続ツイートします。 大学3年の夏から、実質上就職活動が始まる日の慣習は、明らかに異常である。学問が面白くなって、これからいよいよ格的にやろうという時に、なぜ邪魔をするのか。 そもそも、新卒一括採用という慣習は、経営的に合理性を欠く愚行だとしか言いようがない。組織を強くしようと思ったら、多様な人材をそろえるのが合理的である。なぜ、一斉に田植えでもするように、同じ行動をとるのか? 日の企業が

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    tboffice 2010/08/08
  • 配偶者の条件 - 内田樹の研究室

    金曜日。朝、記念賞授賞式。うちの黒田くんが賞をもらったので、お祝いに行く。 大野篤一郎名誉教授による「セネカの幸福論」という講演がある。 ひさしぶりの大野先生のお話を聴く。 どこから始まりどこに行くのかわからない哲学的知性の遊弋。 忘れられかけた「古き良き大学」の空気が大野先生の笑顔から感じられる。 基礎ゼミでは「友人と恋人はどう違うか?」というお題。 おもしろい主題である。 これについては私見があるので、それを述べる。 「友を選ばば書を読みて、六分の侠気、四分の熱」という詩章がある。 知性、気づかい、向上心というようなものが友人を選ぶときの条件であるよということである。 では、配偶者の条件は何か。 与謝野鉄幹のこの「人を恋ふる歌」は広く人口に膾炙した「をめとらば才たけて、みめうるわしく、情けある」で始まる(男性配偶者の条件については言及していないが、同列に論じてよい)。 はたしてこれは

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    tboffice 2009/10/24
    この言い回しにしびれた「劇的なものとなるのである。」
  • ラジオの時代 - 内田樹の研究室

    年末にNHKラジオの収録が二回ある。 ラジオデイズ以来、ぱたぱたとラジオの仕事が続いている。 つねづね申し上げている通り、私はラジオというメディアがわりと好きである。 テレビには出ないが、ラジオには出る。 拘束時間が短いし(収録時間だけで「待ち時間」というのがない)、髪の毛ぼさぼさでパジャマ姿であっても放送上少しも困らない。 現場があまり専門職に分業化していない点もよい。 昨日来た二人はどちらもアナウンサーの方だったが、そのうち一人がMCで、一人はディレクターと録音技師を兼務。 やろうと思えば一人で全部できてしまうということである。 なにしろ制作コストが安い。 ラジオ放送のテクノロジーは「ミシン」や「こうもり傘」や「自転車」と同じで、もう改良の余地がないまで完成されている。 設備はもうできているし、そう簡単に劣化するものでもないから、その気になれば、あと50年くらいは既存の放送施設を使いの

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