2009.04.10 イタリアの地震 (9) カテゴリ:生活 イタリア地震予測地図 (とりあえずこんなのがありますということ。数値の意味とかさっぱり分かりませんのであしからず) ぽつんと黒い点が州都のようです。ラクイラは一番危険ゾーン、カンポバッソはその次に危険なようです。 イタリアの過去の地震 WIKIの「地震の年表」 5.ヨーロッパ より 18世紀以降のみ抜粋。イタリアの地震だけ抜粋。 ヨーロッパの地震はイタリアが一番多いけど、他の国はギリシャが次に多い。 マグニチュードが8.0以上のもの、またはM7.0以上で死者・行方不明者10人以上のもの、または死者・行方不明者100人以上のもの。 サンジュリアーノの地震はM5.5だからか、載っていない。 18世紀 * 1702年3月14日 イタリア、ベネヴェントで地震 - M 6.3、死者150人。 * 1703年1月14日 イタリア中部で地震
3.訴追された理由は『予知の失敗』ではない さて,日本の多くのメディアが間違えた見出しで報告している,訴追の理由についてここで書いておきたいと思います.『予知失敗で禁錮6年』などという表現のまま,新聞やテレビで報道されていますが,予知の失敗ははじめから告発理由に入っていません.告訴された理由は,『地震が起きる前に,安全宣言を出したから』です. 2011年1月に,ラクイラ地震の遺族会のメンバーに会いに行きました.この時点で地震から2年近くが経過していましたが,愛する家族を失った悲しみはその時もそのままに感じられました.遺族らは2つの点において非常に憤っていました.ひとつは,地震が起こる可能性があったのに政府と委員会が『安全宣言』を発表したこと,2つめは,予知してくれなかったから裁判で訴えたと世界じゅうの人々に思われていることについてでした. 特に2点目については,「我々は予知ができないことく
CODEは、4月7日午後12時をもって、表記の地震災害に対する救援活動の開始を発表しました。各種報道による地震の被害や救援の様子をお伝えします。 地震発生時刻:4月6日午前3時30分 マグニチュード:6.3 震源地:ローマの東95キロの山間部 震源の深さ:10キロ 余震:約430回(うち、7日夜5.6Mの余震発生) (余震に関する情報は7日午後7時50分現在) 死者:約270人 負傷者:約1500人 被災者:約17000人 キャンプ地:20ヵ所 野外炊事場:16ヵ所 (4月8日現在) ◆各種報道などから、いろいろな動きをCODEとしてまとめました。情報が重なっている部分があるかもしれませんが、ご容赦下さい。 死者は270人を超え、大きな余震も起きているようです・・・。 <被災者の方々の動き> ・水曜日までに17000人を収容するテントが建てられ、主にラクイラとラクイラ周辺の大きな被害を受け
Cronaca Terremoto Centro Italia, dopo un anno consegnato solo il 23% delle casette provvisorie richieste Paolo Molinari, della Protezione Civile: "Presto grossi passi avanti". Ma "a fine agosto avremo consegnato complessivamente 838 casette provvisorie, su un ordine totale di 3.600". Ad Amatrice e Accumoli, i due comuni più colpiti, assegnate 511 case su 724. I marchigiani hanno avuto 42 abitazion
イタリア中部地震は同国の地震対策に重い課題を突きつけた。地震多発国でありながら、被災地では建物の耐震化が進んでいない実態が浮き彫りになり、地震に備える国民意識の不十分さも指摘される。歴史的な建築物の保全との両立の問題もあり、対応は容易でない。(伊中部アックモリ 宮下日出男、写真も) 「その建物とは反対側(の道ばた)を歩いて」 中部アックモリの壁が崩落した建物前で、被災者のジュセッペ・ファラリヤさん(54)は記者たちに促した。まだ崩れ落ちてくる恐れがあるためだ。ひびの入った知人の建物を指すと、こう振り返った。 「(24日の)地震の2日前、壁と床に隙があるのを見つけ、『地震が起きたら大変』と話したばかりだ」 アックモリは被害が大きい町の一つで、少なくとも11人が死亡した。中心地区では路上ががれきでふさがれている。「14世紀」など建築時期を示すプレートをつけた建物も目立ち、歴史をうかがわせた。
もう日本でも大きく取り上げられていますが,24日午前3時36分,イタリアのペルージャ付近で大地震,それも群発地震がありました.大きな被害を受けている町で,日本人にもなじみがあるのは(無自覚でしょうが)アマトリーチェというという町です.この町は,スパゲッティー・アマトリチャーナ(Spaghetti all'Amatriciana)の名前のゆかりになった町です.よく「娼婦風スパゲッティー」とされますが,「アマトリーチェ風スパゲッティー」が正しいのですね.現時点では,この古い町が壊滅的な被害を受けたようで,犠牲者の数はこの町だけでもかなりの数になりそうです.周辺のいくつかの町も含めると,1000人規模の犠牲者もおかしくないかもしれません.旅行などで現地にいる日本人の方々の安否も心配ですね. 以下で Euronews の動画とトランスクリプションに単語注などをあげておきます.なお,下の動画ではでて
1900-2017年の地震分布 イタリア周辺のユーラシアプレートとアフリカプレートの図 地中海周辺のM5.5以上の地震(1900-2016) イタリア付近は、アフリカプレートとユーラシアプレートが衝突し、互いに押し合っている地域で、テクトニクス的にも地質学的にも複雑な地域であり、地震活動が活発にみられる[1]。イタリアは同じヨーロッパのギリシャ(南部)やトルコ(北西部)と同様に地震の多い国であり、古代・中世以降の地震被害の記録が数多く残されている。2500年の間に、イタリアでは3万回以上の地震が起きた。メルカリ震度階級4以上のものだけに絞っても、560回以上起きている。20世紀では7回の地震が6.5以上のマグニチュードを有していた[2]。イタリアで地震が多いのは、端的に言えばユーラシアプレートとアフリカプレートの収束境界部分にあたり断層が多いためであり、プレートが年間4-10mmのペースで
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