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批評とアニメに関するtekitouotokoのブックマーク (2)

  • まどかの救済――あるいは背中のまがったこびとの話 - 過ぎ去ろうとしない過去

    2月のエントリ「約束された救済――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論」は、編があのような結末をむかえたこともあって、大きな反響を呼んだ。もちろん、あのエントリは予測でも願望でもなく、魔法少女の理念をただ著しただけにすぎない。しかし、内心の予想以上にあのエントリとぴったりくる結末だったのをみて、人が一番驚いているとともに、ベンヤミンと『まどか☆マギカ』の相性はよいということを、ますます確信するに至った。 ところで、人気番組終了の常なのだが、最終回以後、様々な感想がネット上に飛び交っている。満足した者、満足してない者、それぞれいるだろう。あの結末は納得がいかない、という人がいるのはあたりまえのことである。ひとにはそれぞれ価値基準があるのだから。しかし、あのわかりやすい最終回を見て、なお見当違いな解釈をおこなっている人びとも多く見られる。それはたぶんにドグマ的であり、「誰かが幸福になるには誰か

    まどかの救済――あるいは背中のまがったこびとの話 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア

    原稿書きのあいまをぬって更新。 http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090115/p3 ■根拠も動機もなく「誰でも助ける」という性格は、ハーレムメーカーなのだ! 「誰でも助ける」ってのは、「助けられた人の人生の根幹にかかわる」ということを意味するので、相手は、助けた人に惚れるよね。 ちなみに、ここで「根拠がない」というのも重要で、根拠があった場合には、それはトラウマ(=そういう人格になった原因)なわけなので、それを解決して昇華することがイコール彼の人格の「救済」となるので、その時には、彼の相手は、「その救済が可能な人(まぁたいてい女の子)」という風に、オンリーワンの関係を形成してしまうので、物語が終息へ向かってしまう。 そう、、、なんとなくヒント的に感じるんだが、この「主人公の動機の根源に触れない」という設定を置いた瞬間に、ハーレム構造が成立でき

    「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア
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