教訓となる事件・事故がどれほど起こっても、日本の危機管理に進歩はなかった。「安全神話」がすべてを覆い隠してしまうからだ。中でもはなはだしいのが原子力。3.11で最悪の危機が現実のものになるまで、問題を直視するきっかけはいくつもあった。しかし日本は国として逃げて回った。警察庁警備課長として関わった原子力船「むつ」迷走航海以来、日本の主要原子力事故を間近に見てきた危機管理の第一人者が、日本の原子力安全神話の噴飯ものの実態を明らかにする。 95年に一通り危機を経験したが 20世紀末、軍事用語での「CBR(Chemical Biological Radioactive)危機」、あるいは警察用語での「ABC(Atomic Biological Chemical)危機」が、よく取りざたされた。これに「D(Disaster)」を加えたABCD危機を20世紀中に日本は全部体験した。しかも、1995年にはこ
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