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  • 23 総社六所宮 - 武蔵野つれづれ

    元暦元年(1184)六月、信濃源氏の平賀義信は頼朝によって武蔵国の国司および守護人として武蔵守に任命されました。八月には伊賀国で戦功を重ねた嫡男の大内惟義が相模守となり、両国を父子で支配するほど頼朝に信頼され、常に御家人の首座に位置づけられていたのです。翌年十一月には、武蔵国惣検校職だった河越重頼が、頼朝から離反した源義経の舅という理由で所領没収の上、誅殺されていますから、武蔵国を治めるには苦労したはずです。 この年の正月には同じ信濃源氏の木曾義仲が近江栗津に敗死、四月末には義仲の嫡男清水冠者義高が誅殺されています。この一年前の春、頼朝は信濃国へ数万の軍勢を侵入させ、両者の関係が不穏な状態になりました。そのとき頼朝軍が碓氷峠を越えて抵抗も無く信濃国へ進軍できたのは、信濃佐久平の平賀郷を領した平賀義信が頼朝軍を手引きしたからでした。 平賀義信の武蔵守就任はその功に対するものです。もっともそれ

    23 総社六所宮 - 武蔵野つれづれ
    tenchikometen
    tenchikometen 2013/11/27
    大國魂神社 猿渡
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