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ブックマーク / www5.cao.go.jp (4)

  • 昭和30年度 年次経済報告

    貿易 輸入 輸入の規模 昭和29年の輸入は為替支払額では前述のように104百万ドルの減少であったが、通関額では2,399百万ドルと前年を10百万ドル下回ったにとどまり、また輸入量としては輸入単位の値下がりでかえって前年を3%上回り、戦前の77%となった。( 第8表 ) 第8表 輸入金額及び数量の推移 輸入の推移 このように輸入は総額では、前年とほぼ同じであったが年間の推移は大変違っている。すなわち、28年が大体一貫して増加傾向をたどったのに対し、29年には上期と下期の増減の変化が激しかった。 輸入は28年の末から、異常な増加傾向をみせていたのであるが、29年の3月には263百万ドルに達し数量規模としては戦後の最高水準を記録した。これは、28年産米の不作から糧緊急輸入が行われたことにもよるが、同時に経済規模の急速な拡大につれて輸入原料の必要額が増大したこと、28年末頃から国際収支が悪化した

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    tenchikometen 2020/01/16
    米 輸入
  • 昭和32年度 年次経済報告 速すぎた拡大とその反省

    各論 農業 糧経済の変化と新しい問題の展開 昭和30、31年の連続豊作によりもたらされた変化のうち、最も特徴的なものの一つは糧需給の緩和ということであった。糧に対する不足感がなくなったという点では、ほとんど戦前の状態にかえったということができる。しかし戦後の糧経済の中味をみるときは、そこに戦前に比べて数々の構造的変化を見出すことができる。我が国農業は周知のように糧生産の比重が著しく大きいから、糧経済の構造変化は直ちに我が国農業全体の変化にも通ずるのである。以下において、このような戦後における糧農業構造の変化とそれに伴う若干の主要な問題点を考察してみよう。 戦後糧経済の変化 供給条件の変動による消費の変化 戦前においては、我が国主要糧のなかで麦類の占める割合は極めて小さく、麦類が主要糧としての重要性をもってきたのは太平洋戦争以後のことである。それまでは米の不足を主に朝鮮、

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    tenchikometen 2020/01/15
    “不足を主に朝鮮、台湾米によって補っていたのであるが、昭和14年の朝鮮の早魃を契機に外地米の対内地供給力は急激に低下し、さらに戦争末期にいたり東南アジアからの外米の輸入も外地米の移入もともに困難となり
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    tenchikometen 2014/10/09
    海外移転 工場 内閣府
  • 第1節 「産業空洞化」懸念をどう捉えるか - 内閣府

    第3章 日経済を活性化するための課題 第1節 「産業空洞化」懸念をどう捉えるか 最近、日の「産業空洞化」への懸念がしばしば指摘される。具体的には、「我が国の製造業の国際競争力が失われているのではないか」との認識を背景に、「製造業が中国からの輸入急増の打撃を受けて縮小し、貿易・サービス収支が赤字化してしまうのではないか」、「製造業が縮小することにより、雇用の受け皿がなくなってしまうのではないか」、「これまで経済成長を牽引してきた製造業が縮小することによって、今後の経済成長の基盤が失われてしまうのではないか」といった懸念である。 こうした懸念を検討するため、節では、1.で貿易構造にどのような変化が見られるのかを、また、2.で産業構造にどのような変化がみられるのかについて検討し、その上で3.で「産業空洞化」を我々としてどのように捉えるべきかについて論じる。検討を通じて、「産業空洞化」への懸

    第1節 「産業空洞化」懸念をどう捉えるか - 内閣府
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