(ふたりはライトのあたる場所で撮影中。 カメラにむかいながら雑談をしています。 第1回目の今回は、そのもようをおとどけします。)
(ふたりはライトのあたる場所で撮影中。 カメラにむかいながら雑談をしています。 第1回目の今回は、そのもようをおとどけします。)
途中で有吉さんが ひとりでお話しされる場面がありましたが、 あれって、事前に どのくらい打ち合わせしたんですか?
だって「ホームズとワトスン君」という以上の 間柄じゃないですか。 だから「なんだこの人は?」と思ってたんです。 「まるで本人じゃないか!」と(笑)。
ほんとうは、ケンカもアホも、 調整はプロデューサーに任せて、 ただ現場はものを作るという体制が いちばんいいんだと思います。 「お前ら、おもしろいもんだけ作りゃいいんだぞ」 ということにしたい。 なのにいまは、それを 下の人間にも求めてしまう時代です。 ですから、ちょっと かわいそうだなぁと思うんです。
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 テレビの持ってるいいところ。 2009-10-05 テレビの天下は終わりつつある。 そういう時代になっているのは、よくわかる。 広告が減っているのは一目瞭然だし、 その制作の予算も減っているらしい。 テレビに向かってやってくる「お金」の流れが 減っているということだ。 だけど、衰退していると思われているときには、 なんでも「だめ」に見えちゃったりするものだから、 逆に、こういうときにこそ、 「いいところ」を、ちゃんと探しておくほうがいい。 「お金」が集まらなくなったら、 たしかにパワーは減衰するかもしれないけれど、 量的な「ちから」でないもので、 減らない「いいところ」というものが あるはずだと思うのだ。 なんてことをいつも考えていたわけじゃ
今日はお越しいただいて ありがとうございます。 「ほぼ日」で、ぼくはいろんな方と 対談してるんですが、 あんがい、女性は少なめなんですよ。
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 ばかにしないということ。 2009-03-09 3月6日の『今日のダーリン』に、 「人をばかにしちゃいけない」ということについて書いた。 それまで、ずっと考えていたことが、 あ、こういうふうになら書けるかもしれないと思って、 とにかく書いてみた。 『今日のダーリン』は、その日かぎりの掲載で、 アーカイブを残さないことにしているのだけれど、 まず、ここに貼り付けておく。 ・「人をばかにしちゃいけない」というのは、 よく言われることで、これはもう、 まったくもってその通りなのです。 人をばかにしていいか悪いか、という 倫理の問題だけではなく、 人をばかにしてトクかソンかという 損得の問題だけでもなく、 人をばかにして気持ちがいいかどうか、という
故・伊丹十三さんの偉業を記念し、 時代を切り拓く斬新かつ本格的な 人や作品に贈られる、「伊丹十三賞」。 昨年、その第1回目の贈呈式が行われ、 栄えある最初の受賞者となったのは、 糸井重里でした。 そして、今年。 第2回伊丹十三賞に輝いたのは 「ほぼ日」でもおなじみの、 タモリさんでした。 「伊丹十三賞」は、 文化活動全般を対象とし、 「言語表現を主軸としたもの」と 「映像表現を主軸としたもの」を 1年ごとに交互に贈られます。 昨年、糸井がいただいた伊丹十三賞は、 「言語表現」を対象としたもの。 そして今年、タモリさんは、 「映像表現」を対象とした伊丹十三賞、 ということになります。 いただいた資料によれば 授賞理由はこのようにまとめられています。 「テレビというメディアに 『タモリ』としか名づけようのない メディアを持ち込み、 独自の話芸と存在感を発揮する稀な才能に対して。 なかでも『タモ
Lesson436 言葉を受け取るチカラ 「言い方」の問題ばかり、 とかく、あげつらわれる世の中だ。でも、 「受け取る」ほうにだって問題はある。 そんな問題意識を送ってくれた読者がいる。 以前、「いったんけなして、ほめる話法」を とりあげたとき、 「なぜそんな、まわりくどいほめ方をするのか」 読者はこう分析した。 <まるで花束を受け取るように> なぜけなしてほめるか。 話し手は 「ネガの力を借りる」 のではないでしょうか。 例えば、こんなことが有ります。 相手の新しいバックが可愛いな、 と声をかけると、 相手は目をむいて 「どうせ安物だから、」 と返ってくる。 ええと、クサすつもりでは無いので、 なぜ、どこが良いと思ったのか伝える。 相手はまた目をむいて 「そんなことない、最近太った自分に合わない。」 いかに真実か、証明をしなくてはならない。 話し手は口が重くなってうつむき、 聞き手は、ほ
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 人生ゲームのゴールに描かれる人物 2008-10-06 もう、いまの人たちは そんな言葉があることさえ知らないかもしれないけど、 ある時代には、 「末は博士か大臣か」ということが、 言われていたらしい。 博士になれないかもしれないけれど、 大臣にはなれないとは思うけれど、 なれるものなら、なってみたいものだと、 たくさんの男の子たちが考えていたんだろうな。 あるいは、ちょっとやる気のある親が、 自分の子どもを「末は博士か大臣か」にしたいと 願っていたんだろうね。 そうかと思えば、 男の子たちの将来の夢が軍人さんだという時代も、 たぶんあったのだろうと思う。 社長さんだとか、お金持ちだとかっていう言い方で、 将来なりたい立場を語る子どもも、いた
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