ブックマーク / www.1101.com (13)

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 中島みゆきさんとの、遊び時間。

    (ふたりはライトのあたる場所で撮影中。 カメラにむかいながら雑談をしています。 第1回目の今回は、そのもようをおとどけします。)

    terafuri
    terafuri 2010/10/19
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 有吉が、 窓から風を 入れましょう。

    途中で有吉さんが ひとりでお話しされる場面がありましたが、 あれって、事前に どのくらい打ち合わせしたんですか?

    terafuri
    terafuri 2009/12/03
    「いままで思いどおりに 事が運んだ経験がないので、 自分の明確な未来のビジョンを 描かないようにしてるんだと思います。」
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめてのドラッカー

    だって「ホームズとワトスン君」という以上の 間柄じゃないですか。 だから「なんだこの人は?」と思ってたんです。 「まるで人じゃないか!」と(笑)。

    terafuri
    terafuri 2009/11/15
    「日本語の場合、「美しい」と「とても美しい」じゃ、 「美しい」のほうが、美しいんです。」
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - ヤオモテ、OK

    まぁ、でも、あれだね。 こうやって、いま現在も まだまだ音楽でがんばれてるんだから、 それはうれしいよ。

    terafuri
    terafuri 2009/10/30
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - ゼロの仕事。

    ほんとうは、ケンカもアホも、 調整はプロデューサーに任せて、 ただ現場はものを作るという体制が いちばんいいんだと思います。 「お前ら、おもしろいもんだけ作りゃいいんだぞ」 ということにしたい。 なのにいまは、それを 下の人間にも求めてしまう時代です。 ですから、ちょっと かわいそうだなぁと思うんです。

    terafuri
    terafuri 2009/10/30
    得るものが大きかった
  • <テレビの持ってるいいところ。> ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 テレビの持ってるいいところ。 2009-10-05 テレビの天下は終わりつつある。 そういう時代になっているのは、よくわかる。 広告が減っているのは一目瞭然だし、 その制作の予算も減っているらしい。 テレビに向かってやってくる「お金」の流れが 減っているということだ。 だけど、衰退していると思われているときには、 なんでも「だめ」に見えちゃったりするものだから、 逆に、こういうときにこそ、 「いいところ」を、ちゃんと探しておくほうがいい。 「お金」が集まらなくなったら、 たしかにパワーは減衰するかもしれないけれど、 量的な「ちから」でないもので、 減らない「いいところ」というものが あるはずだと思うのだ。 なんてことをいつも考えていたわけじゃ

    <テレビの持ってるいいところ。> ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム
    terafuri
    terafuri 2009/10/05
    「量的な「ちから」でないもので、 減らない「いいところ」というものが あるはずだ」
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 佐伯チズさんにはできるけど、 わたしにはできないという理由?

    今日はお越しいただいて ありがとうございます。 「ほぼ日」で、ぼくはいろんな方と 対談してるんですが、 あんがい、女性は少なめなんですよ。

    terafuri
    terafuri 2009/05/29
  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム <ばかにしないということ。>

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 ばかにしないということ。 2009-03-09 3月6日の『今日のダーリン』に、 「人をばかにしちゃいけない」ということについて書いた。 それまで、ずっと考えていたことが、 あ、こういうふうになら書けるかもしれないと思って、 とにかく書いてみた。 『今日のダーリン』は、その日かぎりの掲載で、 アーカイブを残さないことにしているのだけれど、 まず、ここに貼り付けておく。 ・「人をばかにしちゃいけない」というのは、 よく言われることで、これはもう、 まったくもってその通りなのです。 人をばかにしていいか悪いか、という 倫理の問題だけではなく、 人をばかにしてトクかソンかという 損得の問題だけでもなく、 人をばかにして気持ちがいいかどうか、という

    ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム <ばかにしないということ。>
    terafuri
    terafuri 2009/04/08
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 第2回伊丹十三賞は、タモリさんに。

    故・伊丹十三さんの偉業を記念し、 時代を切り拓く斬新かつ格的な 人や作品に贈られる、「伊丹十三賞」。 昨年、その第1回目の贈呈式が行われ、 栄えある最初の受賞者となったのは、 糸井重里でした。 そして、今年。 第2回伊丹十三賞に輝いたのは 「ほぼ日」でもおなじみの、 タモリさんでした。 「伊丹十三賞」は、 文化活動全般を対象とし、 「言語表現を主軸としたもの」と 「映像表現を主軸としたもの」を 1年ごとに交互に贈られます。 昨年、糸井がいただいた伊丹十三賞は、 「言語表現」を対象としたもの。 そして今年、タモリさんは、 「映像表現」を対象とした伊丹十三賞、 ということになります。 いただいた資料によれば 授賞理由はこのようにまとめられています。 「テレビというメディアに 『タモリ』としか名づけようのない メディアを持ち込み、 独自の話芸と存在感を発揮する稀な才能に対して。 なかでも『タモ

    terafuri
    terafuri 2009/03/24
    「いままで「名づけようのないこと」をしてきた先人とか、 いま「名づけようのないこと」をしている若い人に、 「こんなふうに見つけてくれる人がいたぞ」と 報告したいような喜びがあります。」
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson436 言葉を受け取るチカラ 「言い方」の問題ばかり、 とかく、あげつらわれる世の中だ。でも、 「受け取る」ほうにだって問題はある。 そんな問題意識を送ってくれた読者がいる。 以前、「いったんけなして、ほめる話法」を とりあげたとき、 「なぜそんな、まわりくどいほめ方をするのか」 読者はこう分析した。 <まるで花束を受け取るように> なぜけなしてほめるか。 話し手は 「ネガの力を借りる」 のではないでしょうか。 例えば、こんなことが有ります。 相手の新しいバックが可愛いな、 と声をかけると、 相手は目をむいて 「どうせ安物だから、」 と返ってくる。 ええと、クサすつもりでは無いので、 なぜ、どこが良いと思ったのか伝える。 相手はまた目をむいて 「そんなことない、最近太った自分に合わない。」 いかに真実か、証明をしなくてはならない。 話し手は口が重くなってうつむき、 聞き手は、ほ

    terafuri
    terafuri 2009/03/18
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。 5 そういう目に見えない関係を、 「愛」と呼ぶこともできる。

    インターネット上では、 適切な大きさの問題さえ生まれれば、 そこに問題があるというだけで それを解決する人が現れる。 いや、この理論はいいですね。 だから、この話を聞いたとき、 どうやったら適切なサイズの問題を つぎつぎに生み出すことができるんだろうか、 って思ったんですね。 つまり、適切なサイズの問題をつぎつぎに生み出し、 それの集まった総体を意図する方向に 向かうようにデザインできる人こそが、 これからのインターネットのリーダーというか、 未来のリーダーシップなんじゃないか というような予感がしたんです。

    ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。 5 そういう目に見えない関係を、 「愛」と呼ぶこともできる。
    terafuri
    terafuri 2008/11/21
    亀の話が良い。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 -梅田望夫x岩田聡x糸井重里 1 主体的に時間を使わない限り、人生はすぐに終わってしまう。

    そうですね。 糸井さんと梅田さんが 会ったことがないというので、 一度会っておいたほうがいいんじゃないですかと。 まぁ、それだけのことなんですよね。

    ほぼ日刊イトイ新聞 -梅田望夫x岩田聡x糸井重里 1 主体的に時間を使わない限り、人生はすぐに終わってしまう。
    terafuri
    terafuri 2008/11/13
  • 人生ゲームのゴールに描かれる人物(ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム)

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 人生ゲームのゴールに描かれる人物 2008-10-06 もう、いまの人たちは そんな言葉があることさえ知らないかもしれないけど、 ある時代には、 「末は博士か大臣か」ということが、 言われていたらしい。 博士になれないかもしれないけれど、 大臣にはなれないとは思うけれど、 なれるものなら、なってみたいものだと、 たくさんの男の子たちが考えていたんだろうな。 あるいは、ちょっとやる気のある親が、 自分の子どもを「末は博士か大臣か」にしたいと 願っていたんだろうね。 そうかと思えば、 男の子たちの将来の夢が軍人さんだという時代も、 たぶんあったのだろうと思う。 社長さんだとか、お金持ちだとかっていう言い方で、 将来なりたい立場を語る子どもも、いた

    人生ゲームのゴールに描かれる人物(ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム)
    terafuri
    terafuri 2008/10/06
  • 1