昭和五年(1930年)3月10日は『私と小鳥と鈴と』などで有名な詩人・金子みすゞが亡くなった日です。 若くしてこの世を去ったことは比較的有名ですが、その理由が自殺であったということは、意外とご存じない方が多いのではないでしょうか。 今と比べて平均寿命も栄養状態も悪かった時代、本来ならば育ち上がるまで成長できただけでも御の字だったはず。 そうしたご時世の頃に、彼女はなぜ自ら死を選んだのか。 その生涯を追いかけながら考えてみましょう。 西條八十の童謡に感銘を受けて作詩の道へ金子みすゞの本名はテルといい、現在の山口県長門市で生まれました。 お父さんは清(当時の中国)で本屋さんの支店長職に就いていましたが、彼女が3歳のときに現地で亡くなっています。 元々、この本屋さんは下関に本店のある「上山文英堂」で、みすゞの叔母(母の妹)・フジの嫁ぎ先でもありました。 そして父の死後、みすゞの弟・正祐が上山家に