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ブックマーク / blog.livedoor.jp/easter1916 (5)

  • ララビアータ:憲法96条の改正 - livedoor Blog(ブログ)

    首相が今憲法96条に限って改正を進めようとしている。記者会見で、国民投票で過半数の国民が改正に賛成していても、国会議員の三分の二を少し足りない議員の賛成では改正できないのではおかしいのではないか、という意味のことを語っていた。この点について憲法学者の発言が表に出てこないようなので、疑問の点を私なりに素人くさく議論してみよう。政治的な議論(ならびに広い意味でイデオロギー的、ないし価値観に関しての議論)は当然あるだろうが、ここではそのような点に関してではなく、あくまでも法理論的な側面に関してだけである。それと言うのも、首相の提案はそのイデオロギー的色合いを粉飾して、あくまでも純粋に法理論的・形式論的な議論として、それを進めようとしているからである。 初めに、憲法改正はどのような内容であっても、96条に定める手続き(国会の両院の三分の二以上の賛同を得て改正を発議し、国民投票の過半数をもって改正で

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    terazzo 2013/04/11
  • ララビアータ:プラトンの『メノン』 - livedoor Blog(ブログ)

    メノン プラトンの『メノン』の新訳が、渡辺邦夫さんの翻訳で、光文社文庫から出た。 一読したところ、とても素晴らしい訳業だと感じた。光文社文庫は、古典の新訳を次々に出すというたいへん意欲的な試みをしている。渡辺氏の訳は、非常に自然な日語でわかりやすいばかりではない。ごく最近の国際的な学術的研究成果を踏まえた格的なものでもある(らしい)。私自身、古典学の最近の動向を知らないので、これは訳者あとがきからの知識である。 加えて、文と同じくらい浩瀚な解説がついている。この訳業の大きな特徴はこの点であろう。 このような高い水準の翻訳が一級の古典に新たに加えられたことを、読者の一人として喜ぶとともに、渡辺氏の学者的良心と出版社の炯眼を賞賛したい。 ただここでは、氏の解説を読んで感じた私自身の違和感や批判的考察を中心に記しておきたい。もちろん、このような違和を感じさせてくれるということ自体が、私自身

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    terazzo 2012/02/18
  • ララビアータ:死と言語(ハイデガー・フォーラム講演)(1) - livedoor Blog(ブログ)

    先日のハイデガー・フォーラムでの講演についての要旨を、フォーラム事務局に送った。いずれフォーラムの冊子で発表されるはずだが、商業誌ではないから、ここに掲載しても許されるだろう。以下、数回に分けてここに公表するつもりだ。 Ⅰニーチェ 我々はハイデガーの「ニーチェ」を論じることをしない。その理由は、ハイデガーがニーチェのテクスト論的問題を徹底的に無視しているからである。我々はと言えば、その点にこそニーチェの問題性を見るのである。それは、テクストが読者に対して挑戦し、誘惑し、試練にかけつつ選別するというパフォーマティヴな作用をもっているということである。オーステインはパフォーマティヴな言語作用について語りはしたが、自身の哲学をパフォーマティヴに展開したのではなく、あくまでもコンスタティヴに記述している。ところがニーチェにおいては、自身の主張内容がそのパフォーマティヴな言語使用と一体不可分なもので

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    terazzo 2011/12/15
  • ララビアータ:スピノザとライプニッツ - livedoor Blog(ブログ)

    マシュー・スチュアートの『宮廷人と異端者』(書肆心水)を読んだ。スピノザとライプニッツ両哲学に興味がある人にとっては、見逃せないである。両哲学者の書簡を含むテクストはもちろん、その周辺の人々の資料にも目くばせが行き届いた興味深い一冊。著者は哲学者たちの理論や人間性の解釈にまで立ち入った上で、彼らの複雑な影響関係について独創的な解釈を打ち出している。 1676年11月ライプニッツはハーグにスピノザを訪ねているが、このときの対談は、通常言われているよりも濃密で長時間(少なくとも数日間)にわたるものであったらしい(p−251)。ライプニッツには、既にスピノザの説を受け入れる準備が整っていたのだが、このときの対談を境にして、ライプニッツは次第にスピノザから距離を取り始め、やがてまったく敵対的なものと見なしてゆく。これを著者は、思想史的ドラマとしてのみならず人間ドラマとして描き尽くそうとしている。

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    terazzo 2011/11/29
  • ララビアータ:ハイデガーについて - livedoor Blog(ブログ)

    先日ここで記したようにハイデガー・フォーラムという所で講演することになっている。9月18日龍谷大学である。 思えばハイデガーの『存在と時間』を深い感銘とともに読んだのは、1971年の10月大学の4年生の時であった。それ以前から、寮の同室だった友人、田中博(計数工学科卒、現東京医科歯科大教授)からハイデガーについて手取り足取りの詳しい解説を受けていたために、読んで戸惑うことはなかった。一読して、世界についての見方が一新するほど大きな影響を受けたが、それ以後、同書を一度も通読したことがない。読み終わったときにすべて理解したつもりになっていたし、少し時間がたつと、今度はハイデガーから距離を置きたいという気持ちが次第に強くなってきたことによる。 今回、講演の準備のために、あらためてハイデガーから私が得てきたものを総括してみた。 その結果、多くのものが今なお私の考えの基礎にあることが確認できたが、そ

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    terazzo 2011/08/14
    瑣末な点だけど、計算に「数」は不要じゃないのかなー。ここにあるおつりの数え方なんかもろ「次の数字」方式だよ>http://blogs.yahoo.co.jp/rainbow_bridges4/19460392.html
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