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ブックマーク / nowokay.hatenablog.com (2)

  • 自動車レースにおけるライン取りが本質的でないことをプログラムで説明するテスト - きしだのHatena

    月刊マガジンを読んでたら、「Capeta」が次回で最終回だと書いてありました。 「Capeta」は、フォーミュラカーレースでF1を目指すマンガで、これ実際にレース走らないとわからないよなーという細かい表現がたくさんあってすごい。(と思わせる描写になっている) おそらく、もう、こういうレースマンガはもう出てこないんじゃないかと思わせられます。それが終わってしまうので、結構さびしい。 レースマンガというのは、スポーツマンガの中でも主人公ブーストが効きにくいカテゴリで、いくら主人公が叫ぼうがわめこうが、車は速くなりません。 そうすると、安易にやろうとすると「頼む、タイヤよもってくれー」みたいに、タイヤがすべらないことをお願いしてみたらタイヤががんばって勝てちゃったみたいな話になります。ただ、レース全体でタイヤを100%使い切るドライバーが速いわけで、レース途中でそうやって無理をしたのであればその

    自動車レースにおけるライン取りが本質的でないことをプログラムで説明するテスト - きしだのHatena
    tetrinet
    tetrinet 2013/02/16
    自動車レースにおけるライン取りが本質的でないことをプログラムで説 - きしだのはてな
  • 文系の方がプログラムに有利かも - きしだのHatena

    哲学とか法学とか文学とか論理学とか経済学とか言語学とか社会学とか、文系の人の方が、「勉強の量が同じならば」理系の人よりプログラムには有利かもしれません。 文系でも、それはそれでプログラムにつながる価値があることを勉強しているはずなのです。 むしろ、哲学とか論理学とかはプログラムに直接つながっていて有利です。法学は人間に対するプログラムです。経済学は人間に埋め込まれたプログラムの結果です。 たとえば絵画や音楽系だったとしても、ルールや過去の解釈にしたがって曲を演奏すること・作曲すること・絵を描くことと、ルールや過去のアルゴリズムにしたがってプログラムを組むことには質的な違いがないことがわかるはずです。ちなみにぼくが大学で所属した研究室は「音楽研究室」という名前でした。おそらく。 社会学とか文化人類学とかでは「いまさら」なことを、ソフトウェア工学でやってたりします。 このように、「文系だった

    文系の方がプログラムに有利かも - きしだのHatena
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